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【龍を呼ぶ法】スピリチュアルドクターが神社で修行を重ねて会得した秘術

2020/07/21

自分が神様・仏様に守られていると実感

 私は幼少のころ、熱心な仏教徒の母にお寺や神社の話を聴いて育ちました。

ですから、日常的に見えない世界をかいま見ましたし、実際に、科学では説明できないような体験も多くしてきました。

 例えば戦時中のこと。私は、父が食べるために鯉や鶏など動物をさばくたび、発熱する子どもでした。

小学校4年生のある日も急に発熱し、注射をしても下がりませんでした。そのとき、実家に行っていた父が帰るやいなや、母が父に「なにかしたでしょう」と尋ねました。

 すると、実家で祖母が子猫4匹の扱いに困っていたので、箱に入れて川に流したとのこと。母は「わかった」と言ってすぐ寺に行きました。

母が帰ってくると、私は熱が下がり元気そのものでした。その後、父はいっさい殺生をしなくなりました。

 終戦間際の頃、私の家族は広島に住んでいました。原爆が投下された昭和20年8月6日、私の姉は夏休み中の登校日でしたが、「今日はどうしても学校に行きたくない」と言い出し、時間に厳格な父が、なぜか「自分も遅れていく」と言いました。

 ちょうどそのときに空襲警報解除のサイレンが鳴ったので、家族全員で外に出たそのとき〝ピカドン〟となり、なにも見えなくなりました。

 私はその瞬間転んだので頭部に、母は顔面に、父は手や背筋にやけどをし、姉は右目の下にガラスが刺さりました。もう5ミリ上に刺さっていたら失明でした。

 姉は小学校1年生でしたが、1~3年生の中では、ただ1人生き残りました(4~6年生は疎開中で無事)。この幸運も、母の熱心なお参りによるものだと後で気づきました。

 さらに、私が久留米大学医学部を卒業し、医師になって4年目の2月に、無免許・飲酒運転の車に交差点で衝突されました。当時はシートベルトがなかったため、私は車外に放り出され、前頭部陥没骨折し、4日間意識不明でした。

 意識が戻っても二度と医師としての仕事はできないと言われましたが、母が自分の生と私の生を交換してもらうために久留米の成田不動尊にお百度参りをしたそうです。その年に母は亡くなりました。

 私は、このような経験を経て、見えない世界の存在を確信し、自分が神様・仏様に守られているということがわかりました。

3年にわたる修行の末に龍を呼ぶ方法を会得

 その後、久留米大学医学部を退官した私は、西洋医学とは異なる医学を志向して、さまざまな先生に針灸、漢方、気功を学びました。

 それと並行して、久留米市にある西町日吉神社の近くに引っ越したのをきっかけに、毎日午前2時30分に起床し、午前3時には神社に入り、境内で長時間の瞑想をして、どうすれば神仏や龍とつながれるかを考え続けるようになりました。

久留米市の西町日吉神社

 雨の日も雪の日も早朝に素足で立ったり歩いたり座ったり。平日は仕事があるので3時間くらい、日曜日は7時間から8時間は神社にいたと思います。これを3年ほど続けた頃に、少しずつ道が開けてきました。

 この修行を経て、私は龍の存在を感じられるようになり、龍を呼び出す方法も会得しました。にわかには信じられないかもしれませんが、実際に原因不明の頭痛や全身痛を訴える患者さんのために龍を呼び、快癒に導いたこともあります。

 龍には神龍(龍神)、赤龍、青龍、緑龍、黒龍、金龍、銀龍、紫龍の8種類があり、それぞれに向いたお願い事があります。(記事末尾表)。大きさも、長崎の蛇踊りに出るような大きな龍から、龍の落とし子のような小さな龍までいます。

日々陰徳を積むことで龍とつながりやすくなる

 最後に龍の呼び出し方ですが、基本的には印を組み、「アォーン」という音と龍の名前を一定の回数、繰り返し唱えます(下記参照)。

 練習を重ねると、パワーが上がって唱える回数を減らせます。近所の氏神様で練習するのが基本ですが、機会があれば名古屋の熱田神宮に参拝し、神宮内の龍神神社の前で練習するのがお勧めです。私の仲間は、みな熱田神宮に行っています。

そして、龍とつながり福を招きやすくなるために、神様・仏様の存在とあの世の存在を信じ、無駄な殺生はせず、なによりも陰徳を積むこと。

私は今も医師として活動していますが、患者さんにはいつも、これらのことをお伝えしています。

龍の呼び出し方の基本