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【小林正観】頼まれごとが、人生を 充実させる

2020/02/19

芸術作品の多くは、「王の依頼に応じて」作られた

私たちは、「喜ばれる存在」として生きるために、生まれてきたらしい。喜ばれる存在として生きるとは、自分が達成目標をかかげて、そこに駆け上がっていったり、人より抜きん出ようとしたりすることではありません。ただ「頼まれごとを、頼まれやすい人」であることです。

 心から楽しくて幸せなのは、友人たちからたくさんの頼まれごとをして、「しょうがないなぁ」と引き受けていくこと。頼まれごとが次から次へと来ている人は、それだけで人生が流れているということです。頼まれたことを次次とやって、こき使われて、疲れ果てて死ぬ。それが人生のすべてです。

例えば、武豊という競馬の天才ジョッキー。武豊は、どんなに無名の馬でも、頼まれて日程が空いていれば、馬や状況を選ばずに全部乗るそうです。

「結婚も頼まれごとですか?」と聞かれます。本人が頼まれたと思ったら、頼まれごと。頼まれごとではないと思ったら、頼まれごとではありません。

 世界にはたくさんの芸術作品が残っています。中世ヨーロッパでは、モーツァルトやショパンといった宮廷音楽家が活躍し、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどの画家・彫刻家が数多くの作品を残しました。

 彼らは、王家や王族の依頼に応じて作品を作りました。それらの作品は、何世紀も受け継がれ、現在も多くの人に愛されています。芸術家が自分の意志で作ったものは、ほとんど残っていないようです。

とにかくおもしろい、頼まれごとだけの人生

 私も、自分の達成目標を持って、努力してがんばって生きた人生と、頼まれごとだけの人生と、両方を体験しています。

 私は21歳のとき、父親に「家業を継がないのならば出ていけ」と家を追い出されました。法律関係の仕事に就きたかったので、司法試験の勉強を続けるために、時間を拘束されずに済むアルバイトを考え、それで、自分の好きな旅行関係の原稿をあちこちに送るようになりました。気づけばそれが本になって、印税収入が入り、生活が成り立ち、旅行作家になっていました。

 旅行作家として旅先のいろいろな人の人生相談を受け、手相や人相を見ているうちに、いつの間にか、人間の悩み・苦しみ・生き方について、話したり原稿を書いたりしていて、出版社を興してくれる人さえ現れた。

 私の想いや意志はまったくなく、たまたま、自分が思い描いていた法律関係の職ではなく、人生論について話したり、書いたりすることを仕事にしていました。
 いつの間にか、「努力型の人生」から「頼まれごとだけの人生」に変化していて、その結果として、人生がはるかにおもしろくなっていたのです。

報酬を辞退するのは「傲慢」

頼まれごとをしていると、3回に1回は報酬がもらえるようです。この方程式は、求職中だけれど何をしていいかわからないかたに、特に有効です。

ひたすら頼まれごとを引き受けていると、3回に1回は有料。さらにその3つに1つは「ちょっと多め」の報酬をいただけるみたいです。

 ちなみに、このようなときに報酬を受け取るのは「謙虚」で、報酬を辞退するのは「傲慢」です。なぜなら、お金を受け取らないのは、その報酬を自分のものだと思っているから。

 私のもとに来る報酬は、私のものでなく、単なる預かりものです。預かりものは、使うことで価値が高まります。目の前に画家がいれば、有料で絵を描いてもらう。音楽家がいたら、CDを購入する。陶芸家がいたら、器を作ってもらう。喜ばれるように使うことが、私がお金を預かった意味です。

 そういう考えから、私自身は、有名店のおいしいものを好みません。はやっていないお店で食事をするほうがずっと喜ばれると思い、なるべく人のいないお店を探します。まずい食事が出てきてもいいんです。「おいしくなってくれてありがとう」と声をかけると、まずかった食事もおいしくなります。

 このようにお金を使っていると、お金は決して貯まりません。私を「通過」していくだけの「通貨」です。