よかれと思ったときこそ自分を省みるべし
いくら一般的に「よい」と言われているような言葉でも、それを伝えられた相手にとっては、いい迷惑という場合は少なくありません。
最初は、小さなボタンのかけ違いだったのに、次第に取り返しのつかない事態になっていく──。
これこそ、人間関係で起こりうる「言葉によるトラブルの元」です。
「よかれと思って」「相手のためを思い、言ってあげたのに」という思いが芽生えたら、「それは本当だろうか?」と自らを省みる姿勢が必要というサインでもあります。
その気づきを得たときに、思い出していただきたいのが「確証バイアス」という心理作用です。
確証バイアスとは、心理学の用語で、自分に都合のいい情報ばかりを無意識に集めてしまうことです。
親から受けた教育や長年の経験則などにより強まった確証バイアスは、思い込みの強固さや偏った判断をしているのに気づかない鈍感さにつながります。
たとえ普通に生活し「私は大丈夫だ」と思っていても、誰もが確証バイアスにとらわれていると言っても過言ではないのです。
家庭や職場といった、ある意味閉鎖的な空間では、「これがいい」「これが正しい」という確信を持つと、そのほかの情報が入って来づらくなります。
すると、「がんばりなさい」というような、ありふれた言葉でも「呪いの言葉」になりやすく、同僚や部下などの心を弱らせてしまうのです。
さらに、確証バイアスのやっかいなところは、相手の心が弱っていることを示すSOSに、自分自身が気づきにくくなることもあります。
結果として、何かのきっかけで同僚や部下が不満を爆発させたり、職場に来なくなったりして、人間関係が壊れてしまいます。
特に家庭は、確証バイアスが働きやすい場であることを、頭の片隅に留めておいてください。
確証バイアスを打開するために、自分以外の人の見方・考え方を知ることが大事です。
例えば、パートナー、友人、公的な機関の専門家などと、直面している状況について話し合う機会を持つのもいいでしょう。
話し合いの中で、価値観が違っているために方針が一致しないことも珍しくありませんが、本当は、それが普通です。一致しなくてもいいから、話し合うことが大事なのです。
言い訳は一度受け入れる
人の心理作用で、もう一つお伝えしておきたいのが「合理化」です。
詐欺を行った犯罪者が「騙されるほうが悪い」と主張する……これが合理化で、欲求不満や葛藤などから自分の心を守るために働く、心理学でいう防衛機制の一つです。
ほとんどの非行少年・犯罪者は合理化を行っています。
同僚や部下、友人などの人間関係において「〇〇という理由があったから、こうなるのはしかたがなかった」などと口にすると、私たちはつい「言い訳をするなよ」「反省すべきではないか」と注意したり、しかったりしたくなります。
ただ、合理化は、いわゆる「言い訳」とはちょっと違い、その行動・結果に至るまでに感じた罪悪感や悔しさがあるからこそ、相手からの言葉によって、さらに傷つかないようにしている場合もあるのです。
つまり、「自分の心を守るための発言」でもあり、そこで注意をしたり叱ったりしても、相手の心には響かず、かえって不信感や反発心を抱かせてしまうこともあるのです。
この場合、まずは「〇〇という理由があったから、しかたがなかったと、あなたは思っているんだね」と伝えましょう。いったん、合理化を受け入れて、とことん言い訳をさせるのです。
私たちが受け入れることで、相手は心が落ち着き、ようやく自分自身の発言に矛盾を感じるようになります。このプロセスが重要です。
この矛盾に向き合うことを「内省」といいます。
「反省」と似た言葉ですが、意味は違って、自分自身の心に向き合い、自らの言動や考え方について客観的に分析することです。
人生がうまくいかず、人間関係で苦しんでいるときには、つい相手や周囲のせいにしたり、怒ったり責めたりしてしまいがちです。
しかし、苦しいときこそ自分の思い込みに気づくチャンス。
さまざまな考え方や学問に触れ、意識が変われば、「呪う言葉」が「救う言葉」に変わり、トラブル解決の一歩にもつながります。
現代の心理学では「生涯発達心理学」という、生涯を通して発達が続くという視点で、人の一生を探求する学問が注目されています。
大人になってからも何を学び、どう行動していくのかが、今後の人生を過ごしやすいものに変えるポイントでもあるのです。
言葉を使うとき・受けるときに気をつけたい心理作用
確証バイアス
心理学の用語で、自分に都合のいい情報ばかりを無意識に集めて、理解を進めてしまうこと。
親から受けた教育や長年の経験則などにより、個人の確証バイアスは成り立っている。強まった確証バイアスは、思い込みの強固さや偏った判断をしているのに気づかない鈍感さとして表れる。
合理化
自分の心を守るために働く、防衛機制。
「〇〇という理由があったから、こうなるのはしかたがなかった」などという発言として表れる。行動・結果に至るまでに感じた罪悪感や悔しさなどの負の感情を取り繕い、自分の心を守ろうとする行動の現れ。