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【並木良和】亡くなった人にはもう会えないの?悲しみや寂しさから抜け出すヒント

亡くなったあの人の笑顔に出会うために
あの世を想い、この世を生きる

亡くなった人は、「いなくなった」のでしょうか? 「もう会えない」「触れ合えない」のでしょうか? 

「そんなことはないよ。亡くなった人は〝隣の部屋〟にいるよ」と言う並木良和先生に、悲しみや寂しさから抜け出すヒントをいただきました。

スピリチュアルカウンセラー・作家 並木良和

僕たちは意識を向けさえすれば
いつでも向こうの世界とつながることができる

お墓は思いを向けるアンテナの役割を果たす

読者の皆さんは、お盆の行事やお墓参りをされたでしょうか?

僕自身は、お盆だから何をしようとかは、あまり考えていません。「お墓を掃除してきれいにしてあげたい」という気持ちからお墓に行くことはたまにありますが、「命日だから」「お盆だから」という理由で、お墓参りをすることはありません。

なぜなら、亡くなった人の霊魂が、お墓にいるわけではないからです。「それじゃあ、お墓は何のためにあるの?」と問われたら、僕は「お墓はアンテナの役割を果たしている」とお答えしています。

お墓というのは、亡くなった人のことを思いながら手を合わせ、思いを届けるアンテナのようなもの。何もないと焦点が定まらないけれど、「おばあちゃんのお墓」という対象があると、「ああ、おばあちゃん」と集中できます。その思いがアンテナとなって、亡くなった人とつながることができるのです。

また、お墓参りをすることで、故人を思うだけでなく、自分自身と向き合い、自分の考えをまとめたり、整理したりする機会にもなります。

そうした意味では、お墓参りはよいことではありますが、お墓に行かなくても、どこにいても、故人に思いを届けることはできます。ですから、お盆にお墓参りに行けなかったとしても、気に病む必要はありません。僕たちは、意識を向けさえすれば、いつでも向こうの世界とつながることができるのです。

「いない」と決めつけるから会えない、感じられない

僕たちが生きている「この世」と、亡くなった人たちの魂がいる「あの世」との間には、物理的な距離は存在しません。

今、僕たちがいる物理的な世界には、時間や空間、距離があります。例えば、北海道に住んでいる人が、九州にいる人に会うために飛行機で移動すると、何時間かかかります。

しかし、亡くなった人、つまり肉体を脱ぎ捨てて、霊界という精神的な世界(あの世)へ帰っていった魂には、一瞬で会うことができます。自分が「亡くなったお父さんに会いたいな」と思えば、一瞬にして、お父さんの魂はそばに来てくれます。生きている間よりも亡くなった後のほうがもっと距離が縮まるのです

「亡くなった人は“隣の部屋”にいる」と、僕はお伝えしています。隣の部屋であれば、気配がしたり、物音がしたりして、何となく様子が感じられますよね。この世とあの世も、それと同じ。死んで霊界に渡ったあとも、ただ次元の違う場所に行っただけで、肉体を持って存在しているのか、肉体を持たずに存在しているかの違いでしかありません。ちゃんと関わり合える距離にいます。

でも、多くの人は「とてもそうは思えない」と反論するでしょう。

なぜ、亡くなった人の魂とつながれないのか。それは、故人に対して「もういない」と思っているからです。「いなくなってしまった」という意識でいると、「もう会えない」「感じられない」「触れ合えない」「コミュニケーションを取れない」と思ってしまう。そういう意識だから、自分で「ない」と決めているから、すぐそばにいたとしても、感じ取ることができないのです。

反対に「今は私には見えないけれど、お父さんは肉体を脱いだだけで、きっと存在しているんだ」とイメージしてみましょう。

すると、意識と認識力が広がり、感性も広がって、「わかんないけど、なんとなくお父さんがいる気がする」と、だんだん感じ取れるようになっていきます。

悲しみや寂しさの感情から抜け出したとき
亡くなった人と幸せを分かち合える

この世での課題を終えたら0歳で亡くなっても大往生

この世に生きていると、どうしても「この世が全て」という感覚になります。すると、故人に対して「あの人はここからいなくなってしまった。かわいそうに……」と思ってしまいます。しかし、この世が全てではありませんし、死ぬことはかわいそうなことでもありません。

どの人の魂も、輪廻転生を繰り返し、あの世とこの世を何度も行き来しています。あの世はまさに天国で、願うことはすぐに叶い、穏やかで幸せな時間が流れています。そんな天国を離れて、魂がこの世にやって来るのは、この世でいろいろなことを経験し、成長するためです。

僕たちの魂は、この世でどんなことを経験し、どのような学びや成長を得たいかというテーマや目的を自分で決めたうえで、この世に生まれてきます。そして、自分の課題をクリアしたら、またあの世へ戻っていく。死とは、それだけのことです。

ですから、亡くなった人たちは決して「かわいそうな人」ではありません。残された側が寂しさを感じるだけで、亡くなった本人とはすごく温度差がある場合も多いのです。

例えば、病気で苦しみ、つらい思いをしていた人が肉体を脱ぎ捨てたら、魂にとっては喜びであり、苦痛からの解放ではありませんか?

この世で、肉体を持ってしか体験できないことを経験する修行を終え、解放される瞬間が死なのです。
「お父さん、死んじゃってかわいそう……」と、家族が嘆き悲しんでいるなかで、肉体から抜け出した当の本人は、あの世で「イェ〜イ!」と喜んでいる、なんてこともよくあります。

そもそも、僕たちの魂は、この人生をいつ終えるか、という寿命まで自分で決めて生まれてきます。

それは、生後すぐに亡くなってしまった赤ちゃんについてもいえます。その子が「愛された」という経験だけがほしくて、家族から「生まれてきてくれてありがとう」と愛を向けられたらもう十分、そう思っていたら、1週間という寿命を設定して生まれてくることもあるのです。
自分の魂の計画通りに、体験したいことを体験して、帰っていったのですから、たとえ0歳でも大往生なのです。

寿命は、本人が決めてくるものなので、周りの誰かがどうこうできるものではありません。「あのとき、ああしていたら」と悔やむかもしれませんが、もし、そうしたとしても、やっぱり寿命を迎えることになります。「この世での魂の課題が終了したんだな」「あの世で自由を楽しんでいるかもしれないな」と軽やかな気持ちで見送るのが理想です。

「悲しい」「寂しい」と思うのも自然な感情

「悲しい」「寂しい」という重たい感情の周波数帯域の中には、亡くなった人たちの魂はいません。悲しみや寂しさの感情を抱えたままでいると、亡くなった人の魂を身近に感じたり、コミュニケーションを取ったりすることは難しくなるのです。

亡くなった人に対して「悲しい」「寂しい」と思うのは、自分が「もう二度と会えない」と思っているからですよね。「触れ合えないから寂しい」「感じることができないから寂しい」という前提に立っているのですから、亡くなった人を感じられないのはあたりまえです。悲しみや寂しさの感情を握り締めていればいるほど、亡くなった人の魂との間に壁を作ってしまい、つながることができなくなります。

また、こちらの「悲しい」「寂しい」という思いは、亡くなった人の魂に伝わり、共振を起こします。すると、向こうも悲しく寂しい気持ちになり、いたたまれなくなります。その波動がまた自分に返ってきて、ますます悲しみから抜け出せなくなってしまいます。

ただ、いくら僕が「死ぬことは悲しいことではない」と力説したところで、大切な人を亡くしたら誰だって悲しいのはあたりまえです。「どうして死んでしまったの」「どうして私を置いていってしまったの」と寂しく思うのも、自然な感情です。

では、どうやって、亡くなった人への思いを昇華していけばよいのでしょうか。

悲しみや寂しさがスーッと抜けていく方法

①亡くなった人のことを思い、悲しさや寂しさを感じたら、その感情を存分に味わう(悲しさや寂しさを感じる自分を否定しない)。

②その悲しんでいる自分を、もう一人の自分が「悲しいんだね」「寂しいんだね」とやさしく見守っている様子をイメージする。

③悲しさや寂しさを感じるたびに、②を繰り返す。そうしているうちに、「もう悲しむのはやめにしよう」と自然に思えるときが来る。

※亡くなった人に伝えられなかった思いや言いたかったけど言えなかったことがある場合は、その人にあてて、心を込めて、本当に感じていること、思っていることをそのまま手紙に書くのもいい。書き上げた手紙は、手元に置いておくのではなく、燃やしてしまうと、より相手に思いが届く。

悲しんでいることをジャッジしない

まず大切なことは、自分の感情を否定しないことです。今感じている悲しみから抜け出したいからというだけで、死をなかったことにしたり、悲しいのに悲しくないんだと思い込もうとしたりすることは、自分を否定することになります。

悲しい、寂しいと思っている自分がいることは事実ですから、それをなかったことにしようとしても、かえって自分が、本当の意味で、悲しみから抜け出すことを妨げてしまいます。

もし、今あなたが大切な人を亡くして悲しいと感じているならば、まずは、悲しむことを自分に許してあげてください。そして、悲しんでいることをジャッジしない。「私は今、悲しいんだなあ」と、悲しんでいる自分をただ認めてあげるのです。

そうやって、高い視点から、自分自身の感情を観察すると、その悲しみのエネルギーは、スーッと簡単に自分から抜けていきます。

例えば「お父さん、どうして先に逝っちゃったの?」と感じているなら、それはそれでいいんです。
ただ、「どうして?」「どうして?」という思いにはまり込み、悲しみに浸っていってしまうと、そこから抜けられなくなります。

そうではなくて、「ああ私、お父さんに先立たれて本当に悲しいんだな。こんなにつらいんだな」ということを、もう一人の自分が認めてあげるような意識になると、悲しさや寂しさは自然と抜けていき、その感情を手放すことができるのです。

イメージすることで故人にいろいろしてあげられる

亡くなった人の魂とつながるには、どうすればよいのでしょうか。

僕たちは、イメージすることで、亡くなった人に思いを送り届けることができます。

例えば、生前の楽しかった思い出を、そのときの情景とともに思い出す。「あの旅行はおもしろかったね」とか、「あの頃は、くだらない話でよくバカ笑いしたよね」とか、「あのとき、お父さんが企画した誕生日サプライズ、みんなに大ウケしたよね」とか、なんでもいいのですが、楽しい思い出を語ってあげる。

すると、あなたが感じている楽しく朗らかな気持ちや、温かい愛とか、喜びといった軽やかな波動のエネルギーが、向こうの世界にいる相手にダイレクトに届きます。

そして、向こうの世界にいる相手も、じんわり温かい気持ちになり、朗らかに笑い始めます。その楽しい波動がこちらの世界にも伝わってくると、その波動がまた倍増します。

そうやって、この世とあの世で幸せなエネルギーの共振が起こるので、楽しかったことを思い出してあげることが、亡くなった人へのいちばんの供養にもなるのです。

また、イメージすることで、思いだけではなく、故人に送ってあげたいものを送ることもできます。

例えば、亡くなったお父さんが「いつかハワイに行きたい」と言っていたのに、その夢を叶える前に亡くなってしまったとします。

そうしたら、向こうの世界にいるお父さんに意識を向けて、お父さんの周りにハワイのビジョンを作ってあげましょう。ワイキキビーチの真ん中にお父さんが立っていて、そこで波と戯れ、マリンレジャーを満喫しているシーンを思い浮かべてあげるのです。そうすると、お父さんの周りには、本当にハワイの景色が広がります。
「亡くなってしまった人には、もう何もしてあげられない」という人がいますが、そんなことはありません。イメージすることで、いろいろなことをしてあげられるのです。

亡くなった人と瞬時につながり楽しい気持ちになれる方法

①亡くなった人と一緒に過ごしたときの楽しかった出来事、心に残っている思い出を思い浮かべる。

②そのとき、相手がどんな表情で、どんなことを言ったり行動したりしたかを、そのときの情景や自分が感じた気持ちとともに、ありありと思い出す。

③「あのとき、ああだったよね」と、亡くなった人に心の中で語りかける。

今この瞬間に全ては存在して与えられている。
大切なのは「今に生きる」こと

今が疎かになると次の瞬間も疎かになる

「この世を生きる」ことについても、最後に少しお話ししましょう。

僕たちが、肉体を持ってこの世に生まれたのは、自分自身で設定したテーマや使命に必要なことを体験し、魂の成長を遂げるためです。

自分が決めてきた課題を、人生でクリアすれば、心置きなくあの世へ帰ることができますが、9割以上の人は、「やり残したこと」を抱えて亡くなっています。

今生でやり残したことに再チャレンジするために、また同じ課題を掲げて生まれ変わる魂も少なくありません。

魂が決めた課題をやり切って、後悔なく人生を終えるために、いちばん大切なのは、「今この瞬間に集中して生きる」ことです。

とはいえ、これはなかなか難しいことです。

例えば「近々、こんなことが起きるかもしれない」というニュースに接すると、僕たちは「そうなったらどうしよう?」と思ってしまいます。意識が「今」を離れ、まだ起こるかどうかもわからない「未来」に行ってしまうのです。

反対に、意識が「過去」に飛び、過去を思い返して後悔することも、よくあります。

そうすると、意識が「今」にはなく、今が疎かになってしまいます。

今が疎かになれば、当然、次の瞬間も疎かになる。今が「お留守」の状態がずーっと続くわけです。

そんな、ぽっかり穴が開いたような中途半端なあり方で人生を生きると、最後はどうなるのか。いざ死ぬ段になったとき「ええっ!? 何やってたんだろう……」ということになります。

過去の後悔や未来の憂いから迷いや苦しみが生まれる

過去は、すでに過ぎ去ったものですから、今ここには存在しません。
未来も、まだやってきていないものですから、存在しません。

「じゃあ、何があるの?」と言ったら、「今この瞬間」しかありません。僕たちは「今この瞬間」しか生きられないのです。

そして、今この瞬間に、全ては存在しています。今、本当に魂レベルで自分に必要なものは、今この瞬間に、全て与えられています。今この瞬間に集中していれば、どうすればいいかが明確にわかります。

今から意識が離れて、過去のことを後悔してみたり、未来のことを憂いてみたりすると、今を生きることが疎かになるだけでなく、迷いや苦しみが生まれます。

これが、宇宙の真実です。

だから「今」という大事なタイミングに意識を集中させて、今この瞬間に与えられているものを最大限に生かし切って生きる。今この瞬間を、しっかりと体験していく。毎瞬、毎瞬をそんなあり方で生きていけば、「ああ、充実してたな、私の人生」と満足できる人生を送れます。

後悔のない人生を送りたいならば、今この瞬間だけに意識を向け、常に今を100%のエネルギーで生きることが、とても大事なのです。

この記事は『ゆほびか10月号に掲載されています