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【人生を生き抜くヒント】この世は壮大な仮想現実空間!世界の見方を変えて人生ゲームを楽しむ

世界の見方を変えてこの世を生き切るために
あの世を想い、この世を生きる

『般若心経』と現代物理学、「この世」と「あの世」、メタバース、お墓参りの意味、守護霊――。実体のない「仮想現実空間」かもしれないこの世界で、どう生きるのか。奥平亜美衣先生に、ちょっとディープなお話をお聞きしました。

作家 奥平亜美衣

わたしたちは「この世」という壮大な仮想現実空間で
人生ゲームをしている

法要のたびに聞かされる
『般若心経』が説く意味

法要などでよく読まれるお経の一つ『般若心経』には、「色即是空」という有名な一節があります。これは仏教の根本教理であり、「この世とは何か」を一言で説いています。

色即是空とは、今見えている世界(色)は、すべて実体はなく、空無(空)であるという意味です。そして、目に見えるものと見えないものは等価であり、この世界の本当の姿とは、目に見えないエネルギーだということを伝えています。

これは、現代科学が解き明かした宇宙の成り立ちにも通じています。

今からおよそ138億年前、宇宙が誕生した瞬間は、何もない真空でした。その真空の中に巨大なエネルギーが注入されると、質量を持つ粒子が生まれ、その一部から原子や分子が誕生し、物質が生まれ、銀河や惑星が形成され、そこに私たち人間が存在するようになったのです。

つまり、科学的に見ても、仏教でいう「空」、すなわち「無であり無限である真空」が、すべてを生み出す大元であるということです。

「この世界の見えるものすべては空である」という色即是空の真理は、今この世を生きている私たち人間にも当てはまります。

あなたは自分自身を、肉体あるいは魂の存在というふうに捉えているかもしれません。しかし、あなたも私も、その実体や本質は「空」です。

「自分」とは、目に見えないエネルギーであり、全てを生み出す真空。あなたという「心」が、目に見える物質世界を創り出しているのです。

この世は仮想現実であの世が本拠地

多くの人は、自分が今生きているこの世が現実(色)で、あの世が空であると思っているでしょう。しかし、両方とも仮想現実なのです。

この宇宙、そして自分はそもそも真空(空)ですが、何もない真空のままだと何もわかりません。そこで、自分の中に魂を無数に作って、自分とは何かを探求している場がこの世とあの世であり、私たちはその2つを行ったり来たりしているのです。

それは、一種のメタバースのようなもの。メタバースでは、オンライン上に構築された仮想空間の中でアバター(自分の分身キャラクター)が動き回り、冒険をしたり、他のアバターと協力や競争をしたりしながらゲームを進めていきます。

この世で私たちがしていることも、それと同じ。この世という壮大な仮想現実空間で、肉体をまとって、人生ゲームをしているのです。

どんなゲームかというと、自分で決めた設定とゴールを経験するゲーム。そこでいろいろな経験をしているのは、自分の分身。本当の自分とは、その分身を操作している存在であり、もっと言えば、ゲームの仮想現実空間を創り出した存在です。

私たちはこの世で、1回1回自分の人生の課題を自分で設定して、それをクリアするゲームを楽しんでいます。これを繰り返すのが、「輪廻転生」です。

1回1回の人生にゴールがありますが、このゲーム全体を通じての大きなゴールは「自分=空であり、宇宙であり、全て=愛」だと悟ること。そのゴールに到達すれば、もうゲームをする必要がなくなるので、この世に生まれる必要性もなくなります。これが、「解脱」です。

解脱したあとも、まだゴールしていない人に「自分とは何か」を教えるために、この世に生まれ変わってくる人もいます。

そして、その段階も終わると、いわゆる守護霊としてあの世に留まり、この世でゲームをしている人たちを導く側に回ることになります。

肉体は今いるこの場所にしか存在できないが
霊魂はどこにでも存在できる

思いをはせ、冥福を祈り、
感謝の気持ちを伝える

墓参りは先祖供養、先祖供養は大事だと、私が思うようになったエピソードを紹介しましょう。

私と同年代の友人は、長年、結婚したいのになかなか結婚できないことに悩んでいました。2年前、それを霊能者に相談すると、「あなた、お墓をちゃんとしてないでしょ? お父さんが成仏できず、結婚をじゃましてます」と言われたそうです。

彼女は幼い頃に父を亡くし、遠く離れた実家のお墓は、誰も墓参りに行かず、荒れ果てた状態だったといいます。霊能者の言葉にハッとした彼女は、実家のお墓を自分の住まいから近い東京に移し、毎月、お墓参りに行きました。すると間もなく、いい出会いに恵まれて、トントン拍子で結婚したのです。

彼女のお父さんの霊は、家族のことが心配で、この世に留まっていたのでしょう。結婚をじゃまするというよりも、自分たち先祖のことを気にかけてほしい、お墓をきちんと守ってほしいというメッセージを伝えたかったのかもしれません。

友人の体験を間近で見た私は、「先祖供養は大事だな」と改めて実感しました。

先祖供養といっても、お墓がちゃんとしていて、年に1回でも家族のメンバーの誰かが墓参りをしていれば、十分だと思います。折にふれて先祖に思いをはせ、冥福を祈り、感謝の気持ちを伝えることが、なによりの先祖供養になります。

現世で生きていくということは、他人と関わるということで、そこに敬意や感謝がなければ、うまくいきません。

ご先祖様も、同じです。ご先祖様は亡くなった人たちとはいえ、肉体的に血のつながりのある人たち、自分を応援してくれている人たちですから、礼儀・敬意・感謝を忘れないという、人としてのあたりまえの対応が必要だと思うのです。

家系図を作りあげた日、
位牌の水が泡立った

私自身は、里帰りをしたときに墓参りには行きますが、ふだんは自宅に置いてある先祖の位牌に水をお供えして、手を合わせる程度のことしかしていません。顔を思い浮かべることができるご先祖は、亡くなった祖父母くらいです。

私は去年、ふとご先祖のことを知りたくなり、家系図を作りました。
本籍地の市町村役場から戸籍謄本を取り寄せて、新しいものから古い戸籍へと順に1代ずつ遡っていくのですが、わが家の場合は5代前まで遡ることができ、江戸時代の天保(1830〜1844年)生まれのご先祖までの家系図ができました。

戸籍をたどっていく過程で、「あ、この子は1歳で亡くなったんだな」「この人とこの人は、腹違いの兄弟なんだ」など、生前について知らない古いご先祖のことがいろいろとわかり、興味深いものがありました。

そうして家系図が完成した日、私の自宅の位牌にお供えした水が、ブクブクと泡立ったのです。まるで、家系図ができたことをご先祖様みんなが喜んでいるように思えました。

家系図は、作らなければいけないというものではありませんが、自分のルーツを知りたいと思うなら、作ってみるのもいいでしょう。名前と生没年、代々の家族構成がわかるだけでも、ご先祖様のことをグッと身近に感じられるようになります。

肉体は粒子(物質)で
魂は波動(形のないエネルギー)

「ご先祖といっても、輪廻転生を経て現世に生まれ変わったら、もうあの世から見守ってくれないのではないか」という意見もあります。

しかし、私はそうは考えません。ご先祖の魂も自分の魂も他人の魂も常に多次元に存在しています。形のないエネルギー体である霊や魂は、あの世とこの世の両方に、いろんな次元に存在できると考えています。

「霊や魂はどこにいるのか?」と問われたら、「どこ」という特定の場所ではなく、「どこにでもいる」というのが正解だと思います。

目に見えないミクロの世界を扱う量子物理学の分野では、「物質を構成する分子や原子、原子核を取り巻く電子、あらゆる物質の最小単位である素粒子など、すべての量子は、波であると同時に粒である」ということが、二重スリット実験によってわかっています(左の図を参照)。

私は、肉体は粒子で、霊魂は波動である、と捉えています。

粒子である肉体は、物体としての質量を持ち、今いるこの場所にしか存在することができません。

しかし、霊魂を波動だと考えると、水面に波紋が広がるように、どこにでも存在しうる状態であり、複数の場所に同時に存在している状態ということになります。

そして、二重スリット実験で明らかになった重要な点は、量子は通常は波の性質(波動性)を示しますが、カメラなどの測定装置で観測された瞬間にふるまいを変え、粒子の性質を示すことです。人間が観測していないときは波で、人間が観測しているときは点(粒)なのです。

つまり、あなたが物質に影響を与えているということ。今、自分が見ているところだけが粒子の性質で、実体のある物質のように見えていますが、見ていないところは波の状態かもしれない。これは、プレーヤーが見ている範囲だけリアルに画像処理されたゲームの世界と同じです。

あなたが目にしているこの世界は、観測者である自分が生み出した仮想現実かもしれないのです。

波動か粒子か二重スリット実験

光は粒子ではなく波動だった

1805年頃の実験。電球の光を2つのスリットに通すと縞模様が現れることから、光は波動であることがわかった

電子は粒子であり波動だった

では、1mの10億分の1、あるいはそれよりも小さな量子の世界ではどうか。20世紀後半、技術が進歩して、二重スリットに電子を一つずつ無数に打ち込む実験ができるようになった。その結果、粒の分布に縞模様が現れた。これは電子が、粒子の性質と波動の性質のどちらも持っていることを示す

観測装置が入ると粒子だけに

しかし、電子がどちらのスリットを通過したかを観測する装置を加えると、縞模様は現れず、波動の性質は消えた

見守ってくれる存在のいる「あの世」があると思って
自分の人生を生き切る

興味を持った方向へズズズッと突き進む

この世での一生が、仮想現実世界で行われる人生ゲームだとしても、私たちがやるべきことは2つしかありません。それは「今ある幸せを感じて、今幸せになる」ことと、「今やりたいこと、興味のあることをする」ことです。

私たちが何のために人生ゲームをしているのかというと、自分の願いを叶えるために、自分で毎回人生の課題を設定し、それにチャレンジするためです。自分で決めて生まれてきた人生の目的とゴールを認識して、それに向かって生きていけば、自分も幸せですし、人生はスムーズに進んでいきます。人生を終えるとき、「ちゃんとクリアした!」という充実感や満足感も得られます。

しかし、人生ゲームに設定された課題や目的は、最初から明かされているわけではありません。ロールプレイングゲームのように、プレーヤーの分身となったキャラクターが、ゲームの世界の中でさまざまな体験を積み、自分で情報を集め、場面場面で考え行動を選択していく中で、少しずつわかってきます。

どんな人生を歩むか、という大まかなシナリオはありますが、それは一本の線ではなく、その人の可能性の範囲で無数にあり、複雑に絡み合っています。複雑なあみだくじのようなもので、瞬間瞬間、可能性の範囲で分岐して、どの選択肢を選ぶかで展開が変わっていきます。

では、何を道しるべに人生ゲームを進めていけばいいのか。
答えは簡単で、「今やりたいこと」「興味のあること」をやればいいのです。興味を持ったら、とりあえずズズズッと、その方向に突き進む。そうやって興味のあることを追求していけば、自ずと自分が設定してきたレールに乗れ、ちゃんとゴールに向かうのです。

人生ゲームの課題は、もともと自分が「この人生でやりたいこと」として設定したもの。「自分は今、何をしたいのか」を常に問えば、必ずたどり着けます。あなたの人生の中に、必ず導きやサインがあります。

難しく考えすぎずに、日々、できるだけ前向きに、楽しく、自分がやりたいと思ったことを実行に移す。そうやって進んでいけば、なんだかんだでちゃんと導かれ、人生ゲームを全うできるのです。

前世からの宿題か
今世のテーマか見極めが難しい

人生ゲームの課題は、人それぞれ違います。「これだけをやる」と一つに絞って生まれてくる人もいれば、たくさんの課題を詰め込んでいる人もいます。いずれにせよ、この人生でクリアできなかった課題は持ち越しとなり、生まれ変わった次の人生で、その課題に再度チャレンジすることになります。

その意味では、人生ゲームの課題をきっちりクリアするのが望ましいのですが、ちょっと困るのが、「前世からの宿題」と「今回の人生の課題」の見分けが難しいことです。

前世と同じ過ちを繰り返すと強制終了になってしまう

私の場合でいうと、これまでの人生で取り組んできた「世界のしくみを知りたい」「幸せについて追求する」というテーマは、間違いなく今回の人生の課題だと思います。

しかし、「『法華経』を学ぶ」ことは、どうやら前世からの宿題だったようです。やり終えないといけない宿題だったけれども、新しい授業ではなかった。人生で経験することの中には、そんなこともあります。

前世からの宿題の中には、「同じ過ちを繰り返さない」というタイプの宿題もあります。
ある霊能者に見ていただいたところ、私の今生のテーマの一つに「誰かの下についてやるのではなく、自分でやる」というのがあるそうです。前世でも「自分でやる」というのがテーマだったのにも関わらず、師匠やリーダー的な人について行ってしまったらしく、今生では同じ轍を踏まないと決めてきたのです。

霊能者のかたいわく、前世と同じ過ちを繰り返すと、事故や病気で死んでしまうなど、人生が強制終了になってしまうこともあるそうです。あまりにも大きく今世のテーマから外れてしまうと、そこでゲームオーバーとなるわけです。

「この世しかない」と思うか
「あの世がある」と思うか

この世でそれぞれの人生ゲームに取り組む私たちを、あの世から応援してくれている存在もいます。それが、ご先祖様や守護霊、神様です。

あなたが「ご先祖様は自分を見守ってくれる存在」と思えば、ご先祖は必ずその思いに応え、あなたを見守り、応援してくれます。

あなたには、あの世から見守ってくれる存在がいる

この世で私たちがやるべきことは「自分の人生を生き切る」ことに尽きますが、「この世しかない」と思って生きるのと、「あの世もある」と思って生きるのでは、見えている世界が大きく変わってきます

「この世しかない」と思っている人は、死んだら全て終わりとしか思えません。でも、「あの世もある」と思えば、今見えているこの世界が全てではなく、もっと大きな、多元的な広がりのある世界の中で生きているように感じられるでしょう。これまで平面しか見えていなかったものが立体に見えるように、自分の認識している次元が広がるわけです。

そうなると、人生で行う一つひとつの選択も変わってくるはずです。

人生は1回きりでゲームオーバーではありません。あの世へと続いていきますし、生まれ変わった次の人生にも影響を及ぼします。輪廻転生を繰り返して、何度でも人生ゲームをプレイすることはできますが、今あなたが生きている人生は、あなたが自分のために設定やゴールを決めて、自分で用意したもの。

そう考えると、「この世をどう楽しく生きるか」「自分のやりたいことをやって生きる」ということが、いちばん大事。人生ゲームを思う存分楽しんでいきましょう。

この記事は『ゆほびか10月号に掲載されています