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【斎藤一人】人生に幸せを呼び込む「なんとなく」は神様の知恵!

AI (Artificial Intelligence) concept. Deep learning. Mindfulness. Psychology.

そのひらめきは「神の知恵」なんだ(斎藤一人)

人は誰もが、「なんとなく」の感覚を持っています。
「なんとなく感じる」
「なんとなくそんな気がする」
「なんとなく思い浮かぶ」
こうした「なんとなく」の感覚は、神さまがくれた奇跡の知恵です。
自分では考えもつかないことを、神さまがふわっと授けてくれる。それが「なんとなく」なんだよね。
「なんとなく」って、意識していなければ気づけないほどささやかなお知らせだけど、そこに目を向けて仕事や日々の生活に活かせば、間違いなく人生に喜びが増える。
だって「なんとなく」は、神さまがあなたを幸せにするためにくれたものだから。
信じられない人は、だまされたと思って「なんとなく」を信じてごらん。
そのひらめきで、あなたは望み通りの世界に運ばれるよ。

あなたの「なんとなく」はすごい宝物 (舛岡はなゑ

一人さんも仰っているとおり、「なんとなく」の感覚は神さまがくれた奇跡の知恵。「なんとなく」のひらめきを素直に受け取ることで人生は拓かれるし、猛スピードで出世街道を進むことができます。
おそらく多くの人は、「なんとなく」の感覚に対して「特に意味のない思いつき」のような印象を持っているのではないでしょうか。
そして、ふわっと浮かんだアイデアや知恵を、成功のタネとも知らずに見過ごしたり、意識が向いてもバサッと切り捨ててしまったり……。
でも、一人さんや私にしてみれば、あなたが少しも目を向けていないその「なんとなく」ってすごい宝物です。
とはいえ、これまで「なんとなく」の感覚に価値を感じていなかった人にとっては、急に方向転換するのは難しいかもしれません。
そこで以降では、「なんとなく」を信じられる自分になるための、一人さん流の方法をお伝えしていきたいと思います。
もちろん、一人道(一人さんの教え)に「難しい」はいっさいありません。楽しいものばかりですから、気楽に取り入れてくださいね。

これから1000年続くふわふわと軽やかな時代には
「なんとなく」が必要なんです

斎藤一人

「なんとなく」は人生の灯台です

●一人さんは自分のことを大切にしているので、自分を「一人さん」と呼びます。

人間に備わっている「なんとなく」には、大きな意味があります。
なぜなら、「なんとなく」の正体はあなたの本心だからです。もっと言えば、「なんとなく」ってあなたの魂の声なんだよね。

 なんとなく気分がいい(悪い)。
 なんとなくやってみたい(やりたくない)。
 なんとなく好き(嫌い)。

それはさらりと、そよ風のごとくもたらされる感覚で、ガツンと強烈なメッセージとして伝わってくることはありません。
だけど、「こっちに進めばうまくいくよ」「こうすれば間違いないよ」という正解の道を、あなたの魂が教えてくれているんだよね。
魂は、全てを知っています。あなたの魂は過去世で経験したことを100%記憶しているから、今の自分には知りようのないことも全部わかっているの。
その魂が出す「なんとなく」のサインに従えば、嫌なことや困ったことから守られるし、うまくいく未来、気分のいい未来が待っているんだよね。
「なんとなく」というのは、人生という名の大海原における灯台みたいなもの。絶対に無視しちゃいけない。
航海する船舶にとって、灯台が「目的地へ導いてくれる命綱」であるように、「なんとなく」の直感は、成功・幸せへの最短ルートを示す誘導灯です。
これは重要な道しるべだから、「なんとなくやってみたいなぁ」なんて思ったときは、躊躇しないで行動したほうがいいんだ。
場合によっては、「直感に従って動いたら大失敗しちゃって……」みたいなことだってあるでしょう。
でもね、その出来事は今のあなたに必要だから起きているんだよ。その失敗から学びを得ることで、あなたは成長するってことなんじゃないかな。
長い目で見ると、結局、「あの失敗が成功の引き金だった」ということもよくある話なんです。
失敗したら、そこで学べばいい。学びさえすれば、もう同じ失敗をすることはないからね。

自分を信じて素直にその予感を受け入れな

自分の「なんとなく」を信じてごらん。「なんとなく」に従ってみな。
そう言っても、なお、「なんとなくこう思うのですが、一人さんだったらどうしますか?」と聞いてくる人がいるんです。
それって、自分の「なんとなく」に自信がないんだね。自分の感覚を疑っているから、一人さんの意見を聞きたくなるのでしょう。
もし、あなたが自分を信じていれば、自分の感覚も大事にできるものだよ。
自分を信じているからこそ、「なんとなく」でいい。そう思えるはずなんです。
大事なのは、一人さんがどう思うかじゃなくて、あなたの感覚です。
そもそも、あなたに必要なことは、あなた自身にしかわかりません。一人さんがあなたの魂に聞いてあげられたらいいんだろうけど、残念ながら、私にはそんな特殊な能力はありません(笑)。
あなたの人生にも詳しくないのに、「この感覚、間違っていませんか?」と聞かれても答えようがないんです。
あと、「どうして〝なんとなく〟が魂の声なんですか?」「魂の声だと証明できますか?」なんて詳しく知りたがる人もいるけど、それもやっぱり自分を信じていないからだろうね。
信じられないからもっと知りたい。確信できるまで説明して欲しい。でもそういう人は、永遠に信じられないよ。
たとえば最近、一人さんは「炎の浄化」という瞑想を本でみんなに伝えたんだけど(※)、一人さん流では瞑想するときの姿勢とか、瞑想するタイミングだとか、決まり事はいっさいありません。気が向いたときに、好きな姿勢ですればいいんだよね。

※はなちゃんとの共著『斎藤一人 炎の浄化』(マキノ出版)で詳しくご紹介しています。


なぜかというと、これも「なんとなく」の感覚に従うのがいちばんだからです。
とりわけ瞑想というのは、自分の感覚を「天の波動(周波数)」にチューニングするためのものだから、ルールよりも感覚を優先したほうがいい。というのが一人さんの考えなんだ。
気が向くとか、好きな姿勢って、どれも「なんとなく」でしょう?
なんとなく朝の瞑想が好きだとか、なんとなくあぐらが好きだとか、人それぞれ「なんとなく」の感覚で好きなものが違います。苦手なことだってみんな違う。
なぜ好きなのか、苦手なのかって、詳しく説明しようとしても「なんとなく」という言葉でしか表現できないよね。そういうものだから、細かいことはいちいち気にしなくていいんです。
自分を信じて、「なんとなく」の感覚を素直に受け入れたらいいよ。

「なんとなく」の感覚で波動を感じ取っている

一人さんは、いつも「人生は波動だよ」と言います。
これもやっぱり、「なんとなく」の感覚が人生を作るという意味なんです。
波動は目に見えないものだし、手で触ることもできない。匂いや温度もないから、なんとなく明るい波動を感じるとか、なんとなく暗い波動を感じるとか、常に「なんとなく」で感知するものでしょ?
波動が軽いとか重いとか、全部、感覚的なものだよね。
波動の話をすると不思議に思うかもしれないし、そういう話に興味のない人は、波動が人生を作ることも信じられないかもしれません。
でもね、不思議な話に興味のない人でも、
「あの人と一緒にいると、なぜか落ち着く」
「この場所はなんとなく落ち着かない」
そんな感覚はあるんじゃないかな。
うまく説明できないけど好き(嫌い)とか、理由はわからないけどなぜか行きたくなる(近寄りたくない)みたいな感覚は、誰しも心当たりがあると思います。
これが、まさに波動なんだよ。
雰囲気って波動のことだし、その波動は「なんとなく」としか感じられない。
つまり、私たちがなんとなく感じ取っているものは、人やモノ、起きた現象などから出ている波動なんです。
この世に存在するものは、形あるもの、目に見えないものに関係なく、全て波動を出しています。

そして、あらゆる波動が影響し合いながら、世界は作られます。
波動って、みんなが思うよりはるかに大きなエネルギーを持っているんだよね。
もちろん人間も、さまざまな波動の影響を受けながら生きている。でも、どの波動を選ぶかは自分で決めることができるんだよ。
きれいな波動ばかり選べば、人生だって豊かに開花する。
その反対に、重い波動ばかりに引きずられていると、生きることが苦しくなるような問題ばかり起きます。
じゃあ、どうやって波動を選択するんですかって、「なんとなく」の感覚で選べば間違いない。そういうことだよ。

軽やかな時代に必要なのは「なんとなく」の感覚

時代は今、「ふわふわ」のキーワードに象徴される、軽やかな世界へと変化しています。そしてこの軽やかな時代は、これから1000年続くと一人さんは思っているんです。
これからは、ふわ〜っとした感覚が最上級であり、それが成功や幸せのカギになるんです。要は心を軽くして、好きなことを楽しめば成功する。そういう世界になったと思えばいいの。
じゃあ、新しい時代には何が必要ですかっていうと、「なんとなく」なんです。
軽い時代と親和性が高いのは、当たり前だけど、軽さなんです。「なんとなく」とか、「ふわふわ」とかみたいな、簡単で気楽な感覚。
軽い時代には、世界は軽い波動に包まれます。そのなかで、いつまでも重い波動を出してちゃダメだよ。
軽い波動を出し始めた人から、どんどん上に上がっていくからね。

「なんとなく」は魂からのギフト。
最高の知恵であるとともに厄除けにもなるんです

舛岡はなゑ

そのあふれる涙は過去世の体験が原因なんだ

私は、20年ほど前にこんな経験をしました。
沖縄に行ったときのこと。牛車に乗って浅瀬を渡っていたら、涙が止まらなくなりました。また、宮城県の齋理屋敷(※)という博物館を訪れた際にも、やっぱり同じように号泣の勢いで涙が止まらない。

※江戸後期から昭和にかけて栄えた大商人・齋藤理助(7代にわたって当主が襲名し続けた名前)の屋敷や蔵、所蔵品などが展示されている。


どちらも私はすごく旅を楽しんでいたし、悲しいことなんて1つもありません。
ですから、自分ではまったく理由がわからず、「私、どうしちゃったの!?」って。自分が心配になるやら、周りの目が気になって恥ずかしいやら(笑)。
聞けば、実は一人さんも似たような体験をしているそうです。
一人さんの場合は、千葉の御宿という場所にかかっている橋を渡ると、必ず心が沈んで涙がにじむのだとか。
なぜこんなことが起きるのか、一人さんが教えてくれました。
「なぜか心が落ち着く場所や、訳もなく涙が出る場所ってね、過去世の自分がそこで何か印象深い体験をしたんだよ。
落ち着いたり楽しくなったりする場所は、そこで過去世の自分がすごくいい思いをした。誰かに優しくしてもらうなど、あったかい思い出が詰まっているんだね。
一方、悲しくなっちゃうとか、胸(心)が苦しいとかといった場所には、つらい記憶があるの。
過去世で苦しんだり、寂しかったりした場所なんだろうね。
そして、法悦といって魂が喜ぶと、悲しくないのに涙が止まらないという不思議なことが起こることもあるよ」
興味深いのは、私の知人に話を聞いてみただけでも、こうした体験を持っている人がけっこういらっしゃるのです。
涙というわかりやすい現象ではなくても、なんとなくあったかい気持ちになる、なんとなく悲しくなる。そんな経験って、よくあることなのかもしれませんね。
と思うと、魂の記憶って本当にすごい。
顕在意識のなかには過去世の記憶はないけれど、魂は覚えているんですよね。
そして魂の視点から見ると、
「〝なんとなく〟の感覚は金の知恵だよ」
という一人さんの言葉が、私はストンと腑に落ちるのです。
何百年、何千年……もっと長いかもしれませんが、魂には壮大な歴史があり、膨大な経験による英知が詰まっている。そんな魂が出してくれたアイデアなのですから、いい加減なはずがありません。
「なんとなく」って、壮大な歴史を持つ魂からのギフト。そう思います。

あなたの意識には現実を変えるだけの力がある

私はよく、一人さんや仲間のみんなとドライブ旅行に出かけます。
行き先はそのときのみんなの気分で決めますが、いつも「まるかん(一人さんが創業したサプリメントや化粧品の製造・販売する会社)」本社のある東京・新小岩から出発しますので、出かけやすい千葉方面へ行くことが多いんです。
千葉には一人さんのお姉さんが住んでいらっしゃるので親しみがあるし、みんなの大好きな神社もたくさんありますから、なおのこと千葉へ足が向く。
そうやって何十年も千葉へ通い続けるうちに、目をつむってでも目的地まで行けるくらいになっちゃって(笑)。
私たちは猫が好きなので、道中は車のなかから通り沿いのお宅を眺め、窓辺に座るかわいい猫ちゃんを見るのが楽しみなんですね。
もう何百回と通っている道だから、猫のいる家もほぼ把握していて(笑)、「今日もかわいいね〜」「姿が見えないけど、お部屋で寝てるのかな?」なんて、キャーキャー言い合うわけです。
そんなある日、いつもの道なのに、初めて見かけるきれいな猫がいたので、「あのお宅にも、猫ちゃんいたんだ〜」と驚いたんです。
すると、おもしろいことに、それ以来、そのお宅の前を通ると必ず猫が出窓に座って姿を見せてくれるのです。
意識的にその猫を見ているわけではないのに、不思議なほど目に飛び込んでくる。完全に、私の世界に入ってきたんです。
一人さんは昔から「自分の意識しているものが現実になるよ」と教え続けてくれていますが、この猫のケースは、まさに一人さんの言葉通りの現象だと思います。
自分が認識していないときはまったく現れない(目に留まらない)のに、ふと意識が向いた瞬間から、急に色濃く現れる(自分の世界にしょっちゅう出てくる)。
自分では無意識のつもりでも、魂には「あの猫ちゃんにまた会いたいなぁ」という感情がハッキリと記憶され、それが目の前の現象に投影されたのでしょう。
何が言いたいのかというと、自分ではまったく意識できない「なんとなく」の感覚って、普通は軽視されがちだと思うのです。
でも実際は軽いどころか、現実を変えるほどの力を持っている。
そのことに気づくと、一人さんの言う「なんとなく」の感覚の重要性が本当によくわかるのです。

完璧な存在なのに自分を否定していないかい?

一人さんは昔から、徹底してこう言い続けています。
「人はみんな神(の子)だよ」
「神であるあなたは、そのままで完璧な存在なんだ」
「あなたは愛と光でできている」
そのことを頭ではわかったつもりでいても、ふと気がつくと「自分はダメな人間だから」「どうせ私なんて」という思考に支配されてしまう。
そんな人が本当に多いのですが、自分を否定しながらいじけて生きるなんて、人生でこんなにもったいないことはありません。

では、どうすれば自分否定がやめられるのかというと、
・自分の気持ちに徹底的に寄り添ってあげる
・自分をゆるし、認める

この2点に凝縮されます。自分がどんな感情を抱いたとしても、
「わかるよ、そう思うのはしょうがないよね」
「こういう自分もゆるすよ」
って、否定せずに寄り添うことが大切です。
心(魂)は、自分の声に気づいてもらえないと悲しくなってしまいます。そのつらさは、最初は「なんとなく不快だなぁ」とか「なんか心に違和感がある」といった、ごくささやかな感覚として表に出てきます。
それに目を向けないままでいると、魂はやがて「苦しいよ!」「助けて!」「こっちを見て!」と大声を上げ始めます。
こうなると、表面の意識では望まないことにどんどん見舞われるようになるのです。
人間関係でしょっちゅうもめごとが起こる。仕事でミスを連発する。会社の経営が危なくなる。ケガや病気で苦しむ。
次から次にそんなトラブルばかり起きる場合は、かなりの高確率で「魂が泣いている」と思っていいでしょう。
「もっと自分を大切にしてよ。自分の気持ちにフタをしないで!」
魂が、泣きながらそう叫んでいるのです。
こうなったときには、「炎の浄化」などで心のお掃除をすることをオススメします。
しかし、もっと前の段階で魂の小さなお知らせに気づいていれば、余計な苦労もトラブルも避けることができたかもしれませんよね。
「なんとなく」のサインには、最高の知恵だけでなく、こうした厄除け的な意味合いも大いにあるのです。

人の言葉に傷つくのは自分のなかに問題があるんだ

自分否定をやめ、自分を好きになることが、「なんとなく」を信じられる自分につながります。
すると、「自分否定をやめようと思っても、周りに心ない人がいると、心に突き刺さるような指摘を受けることがあり、それをきっかけにまた自分否定が始まってしまう」という人もいるんですね。
でも実はそれ、相手の問題ではありません。
誰かの言葉がナイフのようにグサッと刺さるときって、本当の原因は自分にあることが多いのです。
どういうことかといえば、自分では「あの人に傷つけられた」「あんなことを言われたから、また自信を失ってしまった」と感じていても、本当は既に自分自身がそこにトゲを刺していたのではないかということです。

一人さんは言います。
「たとえば〝ブス〟と言われて傷つくとか、〝バカ〟と言われて心が痛いとかは、自分の中にある思いがそもそも間違っているんだよ。
あなた自身が、無意識のうちに自分のことをブスだバカだと思っているから、人に言われたときに、その傷がますます深くえぐられて傷つくわけです。
もし自分のことを大切にしていて、自分はすごいんだ、このままで最高の人間なんだと思っているのならば、人から何を言われても受け流せるはずなの。
一人さんなんか、自分に嫌味を言ってきたやつがいたらこう言い返すよ。
〝何も悪くない私に、よくそんなひどいことが言えるよな。そうやって人を傷つけようとするあんたのほうが、よっぽどバカだね〟
いいかい、これが正解なんです。一人さんみたく言い返せなくても、心のなかでそう思えばいい。
それができないということは、やっぱり心は既に傷ついているんだよね。あなたが自分で自分を傷つけていたから、人に言われたことで致命的なダメージを受けるの。
そもそも、一人さんみたく〝私をバカにするやつはゆるさないぞ〟と思っている人には、嫌なやつって出てこないんです。
自分を愛する波動には、愛の波動を持った人しか集まらないから、いい人ばかりに囲まれるんだ」
人の言葉に傷ついたときは、「ひょっとして、無意識のうちに自分で自分をいじめてなかったかな?」と考えてみるといいでしょう。
そしてもし思い当たるようなら、すぐに自分否定をやめて、自分をめちゃくちゃにかわいがってあげてくださいね。

斎藤一人さん×舛岡はなゑさん待望の共著!
『斎藤一人 なんとなく』大好評発売中!

斎藤一人 なんとなく (単行本)

斎藤一人さんとお弟子さんの舛岡はなゑさんの共著『斎藤一人 なんとなく』(マキノ出版刊)が発売中。「なんとなく」を信じられる自分になるためのコツや、受け取った神の知恵を活かして幸せや成功をつかむ、一人さん流の方法をお伝えします。ぜひお手元にどうぞ。

この記事は『ゆほびか』2022年12月号に掲載されています。