罪や穢れを洗い流す神様
昨年、心を浄めて邪気を洗い流す神様として「瀬織津姫(セオリツヒメ)」をご紹介したところ、たいへん大きな反響があり、瀬織津姫の知名度も高まりました。
穢れ・不浄を洗い流す瀬織津姫のパワーは、まさにコロナ過の不安が消えない今こそ、必要とされていると感じています。
改めて瀬織津姫がどのような神様かについて、お話ししたいと思います。
瀬織津姫は、古神道において「祓い清め」をつかさどる祓戸四神の一柱です。祓戸四神には瀬織津姫のほか、速開都姫(ハヤアキツヒメ)、気吹戸主(イブキドヌシ)、速佐須良姫(ハヤサスラヒメ)の三神がいらっしゃいます。
この中でも瀬織津姫は、特にリーダー的な存在の女神と言われています。神職が、神道の祭祀で用いる「祝詞」の中で、最も重要なものが「大祓詞」です。
仏教の般若心経と並び称されるほど有名で、その効果も絶大なものと言われています。
瀬織津姫を含めた祓戸四神は、この「大祓詞」の中に登場します。「大祓詞」にはこう書かれています。
川の瀬にいらっしゃる瀬織津姫が、私たちの罪穢れをきれいに川の上流から流し出してくれます。海へと流れ出た罪穢れを、大海原にいらっしゃる速開都姫が飲み込みます。
飲み込まれた罪穢れを、海底にいらっしゃる気吹戸主がフーッと吹き払います。それを速佐須良姫が黄泉の国で受け取り、罪穢れは浄化されて、消滅するのです。
祓戸四神の中でも、瀬織津姫の人気が特に高いのは、私たちの持つ罪穢れを取り払い、生まれたままの清い姿に戻してくださるところにあると、私は考えています。
瀬織津姫との不思議な縁
私が瀬織津姫のことを知ったのは、まったくの偶然でした。14年前の2006年3月、たまたま知人から「行けなくなったから」と講演会のチケットを譲り受けたのが始まりです。
後で思えば、これは偶然ではなく、私と瀬織津姫を引き合わせるための必然だったように感じます。
その講演会の帰り道、出席した人たちとお茶をごいっしょしたとき、私の隣席の女性が、いきなり「『瀬織津姫』って、ご存じですか? 私が生まれた町に瀬織津姫の伝説があるんです」と、私に尋ねてきたのです。
「瀬織津姫」という言葉は、このときが初耳でした。しかし、「せおりつ」という音の不思議な響きに、妙に惹かれ、その日から瀬織津姫について、調べ始めました。
当時はまだ、書籍や資料がとても少なく、情報を集めるのも苦労したのですが、調べれば調べるほど感動は深くなり、よりきこまれていったのです。
そして、瀬織津姫との運命的な出会いから1カ月後の4月のある夜のこと。突然、夢の中で「瀬織津姫の歌」が流れてきたのです。その歌にはメロディだけでなく、歌詞までついていました。
私は夢で曲を創作することはよくありますが、目覚めるとほとんど忘れています。しかし、このときは違っていました。パッと目覚めて、すぐに曲と歌詞を譜面に書き残しました。ふと時計を見ると、午前3時でした。
朝、あらためて譜面を見ると、夢の中で流れていた曲が鮮明によみがえってきました。こんなことは初めてです。
私はこの曲を、シングルCD『瀬織津姫』として世に出しました。
境内で甘い香りがフワッと降りてくる
瀬織津姫の歌が降りてきてから1カ月後のこと。さらに不思議なことが起こりました。趣味の渓流釣りで、岩手県の八幡平市に行ったときのことです。
市内に瀬織津姫を祀る桜松神社があることを知り、「これもご縁だ」と思って参拝したのです。
小雨のぱらつく中、仕上がったばかりの瀬織津姫の歌のCDをカーステレオで流しながら、桜松神社まで向かいました。
神社の手前の橋のたもとにある瀬織津姫の石碑の前で、車を停めて降りると突然、薄暗かった空がパーッと明るくなったのです。
驚いて空を見上げると、龍の形をした雲が私のいる方向に降りてくるではありませんか。あまりに神秘的な出来事に、その場で呆然としたことを覚えています。
さらに拝殿へ参拝に向かうと、今度は杉木立から「コココキキキー」と木霊の音が聞こえてきたのです。まるで木霊たちが、私を歓迎しているようでした。
私は、音楽以外では霊能力者ではありません。こんなことが起こったのは初めてです。
しかも立て続けに不思議なことが起こったので、瀬織津姫が「よく来てくれた」と、霊能力のない私にもわかるように、伝えてくださったと思えるのです。
瀬織津姫との強い縁を感じた私はそれ以来、瀬織津姫が祀られている全国の神社を探す「姫旅」を始めました。
当時は情報が少なかったうえに、瀬織津姫はいろいろな事情から、「瀬織津姫」というそのままの名称で祀られているとは限りません。多くは別の名称で祀られています。そのため神社を探すだけでもたいへんな苦労でした。
しかし、なんとか見つけ出した瀬織津姫が祀られている神社を参拝し、瀬織津姫に想いを馳せると、まるでその想いに応えてくれるかのように、木霊の音が響いたり、綿菓子のような甘い香りや、心が落ち着く墨汁のような香りに包まれたりするのです。
マイナス思考が浮かばなくなる
歌が来てから、すぐ瀬織津姫をより多くの人に知ってもらうための活動を開始しました。その一つとして、全国の瀬織津姫ゆかりの神社を参拝する「姫旅」をしています。
私と「姫旅」に行くと、参加者たちも甘い香りに包まれたり、水平虹などの不思議な現象を見たりといった神秘体験をされます。
私が瀬織津姫の歌を披露するピアノライブの会場でも、カサブランカの濃厚な甘い香りが充満することがよくあります。
このような体験が続くと、なおさら瀬織津姫のことをいつも想うようになります。このように、心の中で強く想い続けることを「憶念」といいます。祈りも憶念の一つです。神様とつながるには、祈ること、憶念することが重要なのです。
瀬織津姫への憶念を続けているうちに、悪いことやマイナス思考が浮かばなくなります。そして、願いごとがすべてかなう、いいことが立て続けに起こるのです。
幸運は一度起こると連鎖します。常に開運している状態になるのです。瀬織津姫のことを憶念すると、神様にどんどん近づいていき、いつしか一体化します。自身が神様ですから、願いがかなって当然なのです。
瀬織津姫にいつも想いをせていれば、誰でも同じようになります。実際、私の周囲でも、瀬織津姫に憶念を続けている人たちには、不思議な出来事や幸運なことが次々と起こっています。
皆さんも瀬織津姫に想いを馳せてください。きっとうれしくなるようなことが起こることでしょう。
【瀬織津姫物語】どうして瀬織津姫のような大神があまり知られていないのか?
瀬織津姫は、天照大神と並び称されるほどのパワーと格式を持つ神様ですが、天照大神と比べて、あまりにも知名度が低いです。これはなぜでしょうか。
それは、瀬織津姫の名が、日本最古の歴史書と言われる『古事記』にも『日本書紀』にも登場しないからです。なぜこれらの歴史書から瀬織津姫の名が封印されたのでしょうか。
いろいろな説があるのですが、一つ有力なのは「当時の第41代天皇の持統天皇によって、その名を消されたから」というものです。
これは、天照大神にも関係があります。天照大神が天岩戸に閉じこもってしまい、この世が暗闇になった話はあまりにも有名です。瀬織津姫は、この天照大神の妃だったというのです。
驚いた人も多いでしょう。というのも、天照大神は女神です。女神の妃が女神というのは、妙な話です。
実は、天照大神は男神だったという説があるのです。このときの呼び名は「アマテルオオカミ」と言います。女性である持統天皇が、女帝の正当性を認めさせるために、神様の最高峰である天照大神を、歴史書の中で女神ということに作り変えたのです。
女神に妃がいては、つじつまが合いません。そこで、持統天皇は「瀬織津姫を祀ってはならぬ」というお触れを出しました。瀬織津姫の存在が消されてしまったのです。
それまで瀬織津姫を祀っていた神社の多くは、御祭神を変えたり、瀬織津姫の名称を変えたりしました。瀬織津姫を冠する神社が思いのほか少なく、また、数えきれないほどの別名があるのはこのためなのです。
瀬織津姫出版ホームページ
山水治夫 公式ブログ