「ゴミ拾い」で脚光を浴びた僕
僕が20歳のときのことです。漫然と大学生活を送っていた僕は、友人たちが将来に向けて頑張っているのを見て、「このままではいけない。自分を変えたい!」と思うようになりました。
そこで始めたのが、毎朝6時からの、日本一汚いと言われる新宿駅東口のゴミ拾いでした。
自分改革に「ゴミ拾い」を選んだのは、今思えば、父の影響が大きかったと思います。僕の父は、食肉卸会社を経営するほか、ラーメン店のフランチャイズを40店舗以上も展開する実業家でした。
たった一代で、ここまで築き上げたのですが、起業当時はうまくいかないことばかりで、朝、出社したら、従業員全員が辞めていたり、信頼していた人に何千万円も横領されたりと、不運続きだったそうです。
ある日、占い師に見てもらったところ、「強い神様がそばにいるのに、なぜ神様に感謝の気持ちがないのだ」と、叱られたそうです。そして、「毎日、ご先祖様にお膳を供そなえて、家族全員、手を合わせて感謝しなさい」と言われたそうです。
父は、その教えをずっと守っていましたが、ある日ふと立ち寄った福井県で、誰一人いなくてさびれた神社を見つけて、そこの掃除をし始めたのです。すると、父の会社の業績はうなぎ登りで伸びていきました。
この成功体験を子どもの頃から聞いていた僕は、ゴミ拾いで自分を変えようと考えたのかもしれません。
最初はたった1人でゴミ拾いを続けていましたが、時が経つにつれ、いっしょに拾ってくれる人が増え、半年後には、全国27カ所、444人、今では全世界で500カ所以上、総勢15万人以上を集めていっせいにゴミ拾いをするまでになりました。
おかげで、テレビや雑誌など、マスコミからの取材が殺到し、当時は、世間の話題となりました。
また、ゴミ拾いを通して気づいたことや、起こった出来事を赤裸々に綴つづった本『半ケツとゴミ拾い』(地湧社)を上梓しました。本の売れ行きは、とても好調で、講演会の出演依頼もひっきりなしにありました。
「どうか僕の人生、なんとかしてください」
ゴミ拾いで脚光を浴びた僕ですが、その後、数冊の本を出版したものの、どれも売れませんでした。
切羽詰まった僕は、いろいろな企画案を出版社に持ち込みましたが、どこの出版社からも、「君の本はもう出せないよ」と言われました。
そんな状況でも、ありがたいことに、講演会の依頼はいただいていましたが、話す内容はいつも「ゴミ拾い」。つまり、十年以上ゴミ拾いの話だけを続けてきたのです。
僕はもはや、20歳のときの自分を超えられないというジレンマに陥っていました。
何をしてもうまくいかない、打つ手がことごとくダメで、何もすることがなくなったとき、最後に僕がしたことは神頼みでした。
僕は、実家の近くの神社に行き、お賽銭箱に10円だけ入れて、「どうか僕の人生、なんとかしてください。お願いします」と、必死に願い事をしました。
するとその瞬間、ふと「神様って何だろう」「僕は今、どの神様にお願い事をしているんだろう」という疑問が湧わいてきました。と同時に、今、僕がした行いは、神様に大変失礼なことをしたのではないかと思ったのです。
仮に、僕が神様だとしたら、神様である自分のことを何も知らない人間が、「とにかく10円で願いを叶えてください」と言っていることと同じなのではないかと気づいたのです。
僕は考えを改めることにしました。まずは、神様を知ることから始めてみようと考え、日本の神様のことが書かれている『古事記』を読むことにしました。
『古事記』を読んで須佐之男命のファンに
『古事記』を通して知った神様は、偉大な存在ではあるけれど、神様ごとに魅力あふれる個性があり、人間的な泥くさい面もあって、知れば知るほど神様が好きになりました。
僕は、自分なりに解釈した神様の特徴をまとめて、1冊の本にしようと、出版社に企画を持っていきました。しかしながら、すぐに出版ということにはなりませんでした。
けれども編集者の勧めもあって、まずは、ブログに書いてみようということになりました。
2017年3月にブログを書き始めて、休むことなく、神様の特徴を書き綴りました。
しかし、1カ月半以上、書き続けてもブログのアクセス数はいっこうに上がりませんでした。
自分のやっていることは、意味があるのかと、自信を失いかけたときに考えたのは、また神頼みでした。
ただし、前回の神頼みと決定的に違うところは、今回は、大好きな神様、須佐之男命がいたことです。
『古事記』によれば、暴れ者の須佐之男命は、父である伊耶那岐命や姉である天照大神の怒りを買い、地上国・天上国の両方から追放されます。しかし、後にヤマタノオロチを退治して英雄になるのです。
須佐之男命が英雄になるまでの物語は、ダメ男だった自分が、ゴミを拾って人生を変えたことと重なり、親しみが湧いて、須佐之男命のことがますます大好きになりました。そして、親愛をこめて「スサノオさん」と呼ぶようになっていました。
ですから、どうせ神頼みをするなら、スサノオさんをお祀りしている神社に行こうと決めて、東京都荒川区にある素盞雄神社に行きました。
素盞雄神社の拝殿前で、二礼二拍手一礼して「スサノオさん、改めてよろしくお願いします」とあいさつしました。すると、どこからともなく「俺との物語を書けばいい」という声が降って湧いてきたのです。
突然届いた声に「俺?まさかスサノオさん?」と、思わず声に出して聞き返していました。
「俺との物語を書けばいい」とは、どういうことなのか――。
考えを巡らすうちに、ブログでスサノオさんとの話を書けばいいのかと思いつき、その日から、「家にスサノオが棲すみつきまして」というブログ連載を書き始めました。
すると、この日から、あらゆることが変わっていったのです。
夢の中では、お告げのように、どんどんインスピレーションが湧いてきて、スサノオさんといっしょにいることで、いろいろなビジョンが見えるようになりました。
その内容のすべてをブログに書いていくと、みるみるうちにアクセス数が伸び、1カ月で1万アクセス、2カ月経つ頃には、2万アクセスを超すまでになったのです。
さらに、スサノオさんとの対話から、「日本の神々と出会う旅をしよう!」というワクワクするような計画が持ち上がりました。
実際に、その道中で起こった出来事やスサノオさんとの会話、出会った神々のお話をブログに書いていくと、アクセス数は爆発的に伸びて、5万アクセスに達していました。
「マイ神様」を持ったことでうまく回り始めた
アクセス数の驚異的な伸長は、書籍化の道へと導いてくれました。
ブログを勧めてくれた編集者から連絡が入り、たちまち本の発行が決定して、『神様と友達になる旅』(VOICE)を出版することができました。
長い間、20歳の自分が超えられず、失意の日々を送ってきたどん底から、みごとに復活できたわけは、「スサノオさんに神頼みをする」と決めたことです。その瞬間から、すべてがよい方向へ回り始めました。
神社に行き、「幸せになりますように」「仕事がうまくいきますように」と願い事をする人は多いと思いますが、その神社のご祭さいしん神を知ってから参拝するかたは少ないように見受けられます。
僕もそうでしたが、多くの人が、「神様は万能」と思っている気がします。しかし、神様にも得手不得手はあるのです。
だから、叶えたい願い事に合った神様にお願いすること、そして、願い事をする神様のことをよく知ることが重要だと思うのです。
そして、神様のことを好きになって、パートナーとなる「マイ神様」を決めることをお勧めします。
戦国武将や、名だたる成功者は、守護していただく神様を決めていました。例えば、徳川家康は建御名方神、上杉謙信は毘沙門天、松下幸之助は猿田彦神といったように、伝説に名を残す人々は、自分の神様を決めていたのです。
また、願い事は、自分はこれからどうなっていきたいかを、具体的に研とぎ澄ませてください。神様は鏡のような存在です。漠然と、「お金がほしい」と神様に願っても、「自分にはお金がないから欲しい」ということになり、神様はかえって、お金がない状態を作ってしまいます。
自分を深めて、真の願いを明確にしましょう。「〇〇を通して世の中に貢献します。そのために、●●のお金が必要なのです」とお願いすれば、神様は後押ししてくれるのです。
生まれた土地の神様は生涯あなたの味方
ところで、「マイ神様がなかなか決められません」と言われる人がいます。その場合、僕は「どんなときにも必ず守ってくれる神様が二ふたはしら柱います」とお話しています。
1つは、産土神(自分の生まれ育った土地の神様)です。産土神は、たとえ生まれた土地から引っ越したとしても、生涯にわたってあなたの味方でいてくれます。
実は、最初にお賽銭箱に10円だけ入れて神頼みに行った産土神社は、ご祭神が須佐之男命でした。このように、神様はずっと見守ってくれているのに、僕ら人間が気づいていないだけということが多いのです。
ですから、年に1回有名な神社に参拝するより、産土神社に足繁く参拝するほうがよいと思っています。
そして、もう一つは、祖先神です。ご先祖様は、あなたを見守るためにそばにいてくれますから、お墓参りに行くとか、仏壇の前で手を合わせて真心から感謝すると、いかなるときも守ってくださいます。
マイ神様が決まったら、その神様のお守りやカードを身につけたり、持ち歩いたりするのもお勧め。視覚的にも意識できたなら、ますます神様と仲よくなれるはずです。