100点か0点の思考で自分を追い詰めていた
こんにちは。漫画家の赤星たみこです。私は今年で63歳になりますが、これまでいろんなものを「やめた」ことで、今があると思います。これまでの私の人生の中の「やめる」習慣をご紹介していきます。
これをやめました①:「完璧主義」をやめる
私が若い頃を振り返って思うのは、とにかく「生きにくかったな」ということです。
九州の田舎から東京に出てきて、どこかコンプレックスがあったのでしょう。「認められたい」という気持ちが強く、誰かが賞賛を受けていると嫉妬心が湧いて、「私だってできる」「私のほうがもっとうまくできる」といつも思っていました。
夢だった漫画家の世界に足を踏み入れることができてからは、自己実現を果たした満足感はありましたが、コンプレックスが消えたわけではありません。
その結果、常に自己評価は乱高下。仕事がうまくいけば100点、うまくいかないときは0点に感じて落ち込みます。
100点か0点、「うぬぼれ」か「自己卑下」しかありませんでした。自己評価の振れ幅が大きすぎて、自分自身を追い詰めていたのです。
そして、なおのこと「自分のほうが」「私だって」という考え方が顕著になっていき、それが態度にも現れてしまうので、人間関係でトラブルになったこともありました。
当時、いっしょに仕事をしていた編集者やライターなど、私よりも年上の人たちは、そんな私をやんわりとたしなめてくれていました。でも、私にはそれを受け入れる心の余裕がなかったのです。
私が「完璧主義をやめる」ことができたのは、いつからだったでしょうか。私より格段に優れた人たちをたくさん見て、こういう人たちに見栄を張っても仕方ないな……と思ってからだったと思います。
「私にはいいところもあれば、悪いところもある。よくも悪くも50点あれば大丈夫だからがんばろう」──そう考えられるようになりました。それからは、ずいぶんと気持ちが楽になって、生きやすくなったと思います。
自慢している人を見て恥ずかしいと気づいた
これをやめました!②:「人によく見られたい」をやめる
同様のことは、仕事以外の友人関係でもありました。結婚してから、友人たちと集まって会食するときも、ふとしたことで「自分のほうができる」という気持ちが湧いてくるのです。
いちばん多かったのは、主婦の集まりでよくある、「料理」の持ち寄りでした。誰かの料理が褒められると、つい「私も」「私だって」という思いが出てきて、自分のことを話してしまうのです。
これはある日、私と似たような人を見かけたときに、ハッと気がつきました。人が褒められるたびに、「私もできる」「私はもっとすごい」というアピールする人を見て、「うわ、恥ずかしい……」と感じたのです。
しかしそれはこれまでの自分と同じ姿。恥ずかしいのは自分なのです。その場で他人と比べて「私もできる」と言ったところで、どうなるものでもありません。
ほかの人からすれば、聞いてもいないただの自慢です。自分の能力を見せる機会が来たときに披露すればいいのです。
それで「人によく見られようとすること」をやめようと決心しました。「決心」というと大袈裟に見えるかもしれませんが、そのくらいの気持ちにならないと、つい自慢してしまうからです。
嫉妬心は持って生まれたものなので捨てられません。でも、嫉妬する人、自慢する人の見苦しさを思い浮かべれば、「やめよう」となるものです。
「完璧主義」と「人によく見られるようとすること」、この二つをやめた今は、生きるのが楽になり、人と接するのも楽しくなりました。
「楽だから」「安いから」で服を買ってしまう!
これをやめました!③:「楽な服を買う」をやめる
ここまでは人のよくない行動を見て自省し、「やめた」話ですが、その逆もあります。私は自分を「おしゃれな人」だと思っていました。
ただ、家にいるときは、体が締めつけられない楽な服がいいので、ジャージにトレーナーのような、簡単に言えば「ダラダラ」した服装をしています。近所に買い物に行く程度なら、その服装で出かけていました。
月に1、2回は仕事や人に会うために、自宅のある千葉県から都内に出かけるので、そのときはおしゃれをしていきます。
あるとき、近所の人は、どうも私のことをおしゃれに無頓着な人だと思っているのに気づきました。よく考えると、おしゃれをするのは月に1、2回、あとはダサいダラダラした服装で近所を出歩いているわけですから、そう思われるのもあたりまえですよね。
さらに、家に友人が泊まりに来たときのことです。よれよれのダサい服装をしている私に、「なんでそういう服を持っているの?」と尋ねられてショックを受けました。
私が「楽だから」と答えると、友人は「私は自分の気に入ったものしか買わない。気に入ったものなら、同じものを何度でも買う。楽だからといって、似合わないものを着ていると、気分が上がらないからよくないよ」と言ったのです。
その友人は、何歳になってもいつもスッとしてかっこいいのです。その理由がそのときわかりました。そう見える服しか着ないからです。
確かに彼女の言う通り、楽な服は見栄えが悪く、そんな服を着ている自分にも自信が持てません。
逆に、自分の姿を鏡で見て「いいね!」と思える服装のときは、それだけで気分がアップします。堂々としていられます。
このことをきっかけに、私は「楽だから」「安いから」という理由だけで服を買うのをやめました。友人のように、いつまでもシュッとしてかっこよくいたいと思います。
着ない服は箱に入れ1年経ったら捨てる
これをやめました!④:「もったいない」をやめる
「安くて楽な服」は、大量にあります。なんせ安いですから、たくさん買ってしまうわけです。そうすると、クローゼットはパンパン。それなのに「いざお出かけ」となると、これだけたくさん服があるのに、着たい服がないという状態でした。
これは楽な服をたくさん買うことのほかに、もともと私の「捨てられない性格」もありました。クタクタのヨレヨレの毛玉だらけになっても「まだ部屋着としてなら着られる」、買って何年も着ていない服でも「いつか着るかも」と、どうしても捨てられないのです。
捨てようと覚悟したとき、ヨレヨレの服をすぐ捨てられたのですが、問題は「着ていない服」でした。「着てみたら微妙に気に入らなかったけど高かったし」「サイズが少し合わないけど、やせたら着られる」といった理由で、着ないのにもったいなくて捨てられない服です。
これも、先の友人の話を聞いて決心がつきました。「好きな服」だけを残しておけばいいのです。私は、思い切ってクローゼットから「好きじゃない服」を出して、すべて箱に入れました。
そのまま1年経ってもその箱から服を取り出さない場合、箱の中身を見ずに、そのまま捨てることにしたのです。箱の中を見てしまうと、また捨てられなくなるからです。
「もったいないをやめる」ことで、クローゼットもだいぶ片づき、自分が着たい「好きな服」がすぐに選べるようになりました。
捨ててから、「やっぱり捨てなきゃよかった」となることはほぼありません。ふだん着てなかったわけですから。
クローゼットも部屋も片づいて、好きな服がすぐ選べると、気持ちがスッキリします。捨てられない、片づかないで悩んでいる人は、ぜひ試してみてください。