神と人に本来上下関係はない
私は幼少期から「神様って何だろう」ということを探求してきました。その中で、大きな気づきを得た出来事が2つあります。
1つは、沖縄県久高島で、私の心の師匠である神人(神職)から聞いた「神人和楽」という教えです。
「久高島には『神人和楽』という言葉があるんだよ。神も人も同じ空間で一緒になって楽しむという考え方だ。神が上とか、人が下とか、そんな境目はなく、神と人は常に一緒にいる。それが本来の世界なんだよ」と、神人は教えてくれたのです。
その言葉を聞いて、私は深く納得しました。神様は上でも下でも左でも右でもなく、常に私たちの真ん中にいます。
ごくあたりまえの身近な存在として、いつも神様と一緒にいることが大事なのです。
「私は今自分に対して祈っている」と気づいた
もう1つは、2008年に奈良県の天河大辨財天社で正式参拝をしたときの体験です。本殿に昇殿してお祈りした際、大きく立派な神鏡を見たときに、ふとその鏡に自分が映ったような気がしました。
そのとき、「私は今、自分に対して祈っている。自分自身に宿る『内神様』に祈っているんだ」と気づいたのです。
それまでの私は、何かに頼りたい、神様に望みを叶えてほしいという考えを持っていました。
しかし、内神様の存在に気づいてからは、まずは自分自身を整えることが大事だと考えるようになったのです。
私は、自分の中にいる神様を内神様、それ以外の神様をすべて外神様と呼んでいます。内神様は私たち一人ひとりに宿り、外神様はいつも私たちのすぐ近くで見守ってくれています。
大切なのは、見失っていた神様たちとのつながりを強めていくこと、そして内神様と外神様をバランスさせていくことです。
何事も、偏るのはよくありません。内神様ばかりに偏ると、自己愛が肥大化して自分本位な考えに走ったり、自分は神のように万能だという妄想に陥る恐れがあります。外神様ばかりに偏ると、すべてを神様にゆだねて頼ってしまうような、危うい方向へ進みかねません。
中国思想では、陰と陽が統合すると「中庸」が生まれ、中庸こそが宇宙の真理であると考えます。神様についても、内神様と外神様のバランスがとれてこそ「神人和楽」が実現すると思います。
中庸を知るには、内神様と外神様の両方を経験して理解を深めていくことが必要です。
次回からは、その具体的な方法をご紹介します。