東日本大震災で神仏のご加護を実感
皆さま、泉智教です。私は、福島県南相馬市にある「円明院」の第29代住職を務めております。
私は円明院を「世界一のパワースポット」「生きている人のための寺」「運気好転の大聖地」と表現しております。参拝したら「願いが叶った」「運気が上がった」「健康になった」と口コミで広がり、日本全国からたくさんのかたがいらっしゃいます。
円明院はもともと修験道の寺で、古くから地元の漁師さんの大漁や一家繁栄を叶える場として続いて参りました。先の南相馬という地名から、2011年の東日本大震災を連想されたかたも多いでしょう。
あの地震が始まった瞬間、私は本堂での講話を終えて、円明院の裏山にある奥の院におりました。これまで体感したことのなかった強い揺れに戦慄したのを覚えております。
やがて、寺の周囲を未曾有の大津波が襲い、近隣の建物や車がどんどん飲み込まれていくのを目の当たりにしました。
ところがなぜか、津波は円明院の前で静かに止まり、軽微な被害で済みました。これは、神仏のご加護をいただけたのではないかと考えております。それ以降の私は、ますます、自らが授かった天命について強く意識するようになりました。
住職になるまでに体験した人生の荒波
私は29代目の円明院住職で、28代目の住職は、私の父です。実は、私が住職を継ぐまでには、紆余曲折がありました。いえ、今思えば、それも、神仏がお与えくださった道筋のような気もするのですが……。
詳しくは拙著(プロフィール参照)に書きましたが、今回のテーマである金運の話にもつながりますので、かいつまんでお話し致します。
私は、寺を継ぐ気はありませんでした。18歳で仏教大学に進学するために上京しましたが、「東京で成功したい」という野心を胸に、卒業後も整骨院に勤めながら柔道整復師の専門学校に通う日々でした。
ところが、3軒目の整骨院に勤めていたとき、なぜか手足のしびれや激しい頭痛を感じるようになり、やがてそれが全身に広がって、歩くことすらできなくなりました。医者に行っても原因はまったく不明です。そのうち症状が激化して救急車で運ばれる事態となり、それ以降は、実家に戻って再び病院を巡りました。
そして、さまざまな民間療法から心霊的治療法にまで手を出しますが、結果が出ることはなく、果ては寺の息子なのに、一時、新興宗教に入信するまでに至りました。
それでも症状は一向によくならず、絶望を重ねた私は、2度死のうとしましたが、死にきれませんでした。そして3度目の自殺を志し、家を出ようとしたところ、当時、円明院の住職であった父に呼び止められ、こう言われたのです。
「おまえ、死ぬ気があったら生きてみよ!」
父は、すべてお見通しだったようでした。当時、すっかり心がすさんでいた私でしたが、その言葉はスッと腑に落ちるものがありました。
得心した私は、「これからは楽しいことだけをやろう!」と開き直り、できる範囲で好きなことを次々と始めました。すると不思議なことに、だんだんと社会活動ができる体になっていき、地元といわきに整骨院を開くまでに回復します。
私は人様のお役に立てるようになったことを心から喜んでいたのですが、なぜか、若かったときの自分と同じような野心が、再び私の胸にムクムクとよみがえってきました。
そして結局、私は再び上京します。不動産などの事業を手がけたところ、うまくいき、お金がたくさん入ってきました。ところが、バブル崩壊で積み上げた資産をすべて失い、ゼロどころか、マイナスからの再スタートを強いられました。
後に、こう思いました。絶好調だと慢心していましたが、実は、窮地で救いの手を差し伸べられるような、真に波動の高い人間ではなかったのだと。そんな私を神仏が戒めてくださり、「気づき」を与えてくださったのだと思っております。
(次回②に続きます)