●本記事は『ゆほびかGOLD』vol.40(2018年刊)掲載記事を再編集したものです。
こんにちは。みっちゃん先生と申します。
ここでは、商いと人生の師匠・斎藤一人さんとの共著、『斎藤一人 神はからい』(マキノ出版)でお伝えしている大切なメッセージの中から、さらに『斎藤一人 愛語』からも、斎藤一人さんの貴重な知恵をご紹介させていただきます。
●みっちゃん先生より
人は神さまが創りたもうた最高傑作
一人さんは、昔からよく、「人は神さまが創りたもうた最高傑作だよ」とおっしゃっています。
ところが、「自分なんて未熟だから」って、自分の価値を低く見積もっている人が多いんですよね。
一人さんはこんなふうに教えてくださいました。
(みっちゃん先生)
●斎藤一人さんより
人は未熟だからこそ自分を改良しようとする
自分は未熟だからって言う人は、未熟なことを「悪いことだ」と思っているんだ。
一人さんはそういうふうには思ったことがないの。
神は、あえて人間を完壁でなく創ったんだよ。
あえて改良の余地をつくったからこそ「最高傑作」なんだよ。
だから、こんな未熟な自分が「最高傑作」であるわけがない、って。
それは違うんだよ。
未熟だからこそ「神の最高傑作」なんだよ。
自分は未熟だと思うから、自分を改良しようと思うじゃない?
そこが「最高傑作」なんだよ。
確かに、未熟だと、あっちぶつかり、こっちぶつかり、悩むこともあるよ。
でも、そうやってうまくいかないことが起きて苦労していると、人は必ず
「このままじゃ嫌だ」と思うんだよ。
うまくいかせるには自分を高めるしかないんだ、って。
逆境を乗り越えるためには、今、自分が生まれ変わるしかないんだ。
脱皮して進化しよう、って。
今、YouTube(ユーチューブ)で一人さんのお話を聞いたり、いろんな人の話を聞いている人がたくさんいるよね。
よりよい人生にしようと思って本を読んだり、講演を聞きに行ったり、いろいろするでしょ?
それって、自分をよくしよう、進歩しようとしているんだよ。
それが、あなたが「神さまの最高傑作」ですよ、ということなんだよ。
そうやって言われても、まだ自分が「神さまの最高傑作」だとは思えない人もいると思うんだ。
そのなかで、特に精神的なことを勉強している人ほど、信じられない自分を責めてしまうことがあるんだけど。
信じられないときは、信じなくていいの。
信じられないあなたは、そのままで大丈夫なんだ。
学校時代、みんなは国語の時間になると国語を勉強したじゃない?
数学のときは数学を勉強したよね。
数学のときに音楽の勉強をするって、おかしいでしょ?
人生もそれと同じなの。
こんなどうしようもない自分が「神さまの最高傑作」だなんて、そんなの、信じられないよ、っていうときは、
「自分を信じられないとどうなるか」
ということを勉強する時間がきてるだけなんだよ。
数学の時間は数学の勉強をするのが正しいんだよね。
だから、そのままでいい。そのままで大丈夫なの。
あのさ。ピラミッドって、あるじゃない?
ピラミッドって、下から一段ずつ石を積みあげて、できあがったじゃない? 一段目がない状態から、いきなり二段目から積みあげよう、って、そんなことはできっこないよね。
人生もそれと同じだよ。
段階、段階をちゃんと踏んで進んでいくんだよ。
段階を上がっていくときの速さを早めることはできるんだよ。
ゆっくりと上がっていく人もいる。
ものすごい速さで駆け上がっていく人もいる。
どのぐらいのスピードで上がっていくかは、自分次第でどうにでもなるよ。
でも、めんどくさいからって、一段飛ばしていくことはできないの。
それは、自分の魂がゆるさない。
魂はその段階を経験したいし、学びたいんだよ。わかるかい?
自分のことを信じられない人は、順調に段階を踏んできて、今「自分のことが信じられないとどうなるか」を経験する段階がきただけなんだよね。
だから、何も問題はないよ、って。そのままで大丈夫なの。
「そのままでいい」と言っててもね、そのまま行かないの。
変化は必ず起きるものなの。
自分を信じられないでいると心が苦しくなってきて、「もう、こんな思いで生きるのはやめよう」って。
そうやって〝光〟を求めて動きだすようになっているんだよ。
みっちゃんもそうだったようにね。
だから、本気で人を導こうと思ったら、相手を変えようとするんじゃなくて、まず自分が幸せになることだよ。
自分が幸せになって、自分が〝光〟になればいい。
〝光〟とは何ですか、と言ったとき、明るさではないんだよ。
その人がどう生きているか、っていう「生き方」なんだよ。
「自分も、こういうふうに生きたい」
「私も、こういう人間になりたい」
「こんなふうに考えたい」
そういうふうに思われるような生き方が〝光〟なんだよ。
(斎藤一人)
(おわり)