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【斎藤一人】【みっちゃん先生】「愛顔愛語」で仕事がうまくいく!(その9)

●本記事は『ゆほびかGOLD』vol.40(2018年刊)掲載記事を再編集したものです。

 こんにちは。みっちゃん先生と申します。
 ここでは、商いと人生の師匠・斎藤一人さんとの共著、『斎藤一人 神はからい』(マキノ出版)でお伝えしている大切なメッセージの中から、さらに『斎藤一人 愛語』からも、斎藤一人さんの貴重な知恵をご紹介させていただきます。


その1から読む

●みっちゃん先生より

人は神さまが創りたもうた最高傑作

一人さんは、昔からよく、「人は神さまが創りたもうた最高傑作だよ」とおっしゃっています。
 ところが、「自分なんて未熟だから」って、自分の価値を低く見積もっている人が多いんですよね。
 一人さんはこんなふうに教えてくださいました。
(みっちゃん先生)

●斎藤一人さんより

人は未熟だからこそ自分を改良しようとする

自分は未熟だからって言う人は、未熟なことを「悪いことだ」と思っているんだ。

 一人さんはそういうふうには思ったことがないの。
 神は、あえて人間を完壁でなく創ったんだよ。
 あえて改良の余地をつくったからこそ「最高傑作」なんだよ。
 だから、こんな未熟な自分が「最高傑作」であるわけがない、って。
 それは違うんだよ。
 未熟だからこそ「神の最高傑作」なんだよ。

 自分は未熟だと思うから、自分を改良しようと思うじゃない?
 そこが「最高傑作」なんだよ。

 確かに、未熟だと、あっちぶつかり、こっちぶつかり、悩むこともあるよ。
 でも、そうやってうまくいかないことが起きて苦労していると、人は必ず
「このままじゃ嫌だ」と思うんだよ。
 うまくいかせるには自分を高めるしかないんだ、って。

 逆境を乗り越えるためには、今、自分が生まれ変わるしかないんだ。
 脱皮して進化しよう、って。

 今、YouTube(ユーチューブ)で一人さんのお話を聞いたり、いろんな人の話を聞いている人がたくさんいるよね。
 よりよい人生にしようと思って本を読んだり、講演を聞きに行ったり、いろいろするでしょ? 
 それって、自分をよくしよう、進歩しようとしているんだよ。
 それが、あなたが「神さまの最高傑作」ですよ、ということなんだよ。

 そうやって言われても、まだ自分が「神さまの最高傑作」だとは思えない人もいると思うんだ。
 そのなかで、特に精神的なことを勉強している人ほど、信じられない自分を責めてしまうことがあるんだけど。
 信じられないときは、信じなくていいの。
 信じられないあなたは、そのままで大丈夫なんだ。

 学校時代、みんなは国語の時間になると国語を勉強したじゃない?
 数学のときは数学を勉強したよね。
 数学のときに音楽の勉強をするって、おかしいでしょ?
 人生もそれと同じなの。
 こんなどうしようもない自分が「神さまの最高傑作」だなんて、そんなの、信じられないよ、っていうときは、
「自分を信じられないとどうなるか」
 ということを勉強する時間がきてるだけなんだよ。
 数学の時間は数学の勉強をするのが正しいんだよね。
 だから、そのままでいい。そのままで大丈夫なの。

 あのさ。ピラミッドって、あるじゃない?
 ピラミッドって、下から一段ずつ石を積みあげて、できあがったじゃない? 一段目がない状態から、いきなり二段目から積みあげよう、って、そんなことはできっこないよね。

 人生もそれと同じだよ。
 段階、段階をちゃんと踏んで進んでいくんだよ。
 段階を上がっていくときの速さを早めることはできるんだよ。
 ゆっくりと上がっていく人もいる。
 ものすごい速さで駆け上がっていく人もいる。
 どのぐらいのスピードで上がっていくかは、自分次第でどうにでもなるよ。

 でも、めんどくさいからって、一段飛ばしていくことはできないの。
 それは、自分の魂がゆるさない。
 魂はその段階を経験したいし、学びたいんだよ。わかるかい?

 自分のことを信じられない人は、順調に段階を踏んできて、今「自分のことが信じられないとどうなるか」を経験する段階がきただけなんだよね。
 だから、何も問題はないよ、って。そのままで大丈夫なの。
「そのままでいい」と言っててもね、そのまま行かないの。
 変化は必ず起きるものなの。

 自分を信じられないでいると心が苦しくなってきて、「もう、こんな思いで生きるのはやめよう」って。
 そうやって〝光〟を求めて動きだすようになっているんだよ。
 みっちゃんもそうだったようにね。

 だから、本気で人を導こうと思ったら、相手を変えようとするんじゃなくて、まず自分が幸せになることだよ。

 自分が幸せになって、自分が〝光〟になればいい。
〝光〟とは何ですか、と言ったとき、明るさではないんだよ。
 その人がどう生きているか、っていう「生き方」なんだよ。

「自分も、こういうふうに生きたい」
「私も、こういう人間になりたい」
「こんなふうに考えたい」
 そういうふうに思われるような生き方が〝光〟なんだよ。

(斎藤一人)

(おわり)

その1から読む