
医療とは患者さん自身の養生が基本にある
私は長年、精神科医としてさまざまな患者さんを診てきました。そんな中で私がたいせつにしてきたことの一つに、「自然治癒力」があります。
自然治癒力をごく簡単に説明すると、多くの生命体が生まれつき持っている、心身を治す力のことです。
病気が治るのは、自然治癒力の働きによるものです。医師が行う「治療」というのは、自然治癒力が働きやすいように状況を整えているだけなのです。
例えば、手足に傷を負ったとき、医者は鍼と糸で体を縫い合わせ、不潔にならないようにガーゼで覆います。そして、あとは自然治癒力を当てにして待つだけなのです。
ところが、現代の医療現場では、自然治癒力という考えが忘れ去られているようです。
頭が痛かったら痛み止めをすぐに処方、セキをしたらセキ止めをすぐに処方するなど、観察をなおざりにしてそそくさと症状を消してしまう傾向があるように思えます。
それぞれの症状は、体が何かの目的があって起こしているのかもしれません。なのに、それを全部やめさせてしまいます。体が行っている、治癒の根本の努力をチャラにしている可能性があるのです。
例えば、子どもが大きい声で騒ぎ出したとき、口を塞げば静かになるかもしれません。
しかしそれは、子どもが何か訴えているのかもしれない。何か原因があってのことかもしれないのです。病気にしても、子どもの大声にしても、その原因を読み解かないことには、根本的な解決に至りません。
つまり、症状というのは自然治癒力の現れであり、それをさっさと消してしまうだけの処置は、本質的な治癒を妨げる可能性を持っているのです。
それを治療と言うのは、悲しいことです。医師はもっと自然治癒力と向き合う必要があるのです。
そして、この自然治癒力を高めたり、自然治癒力が働きにくくなっている事情を改善したりするのが「養生」です。
治療は自然治癒力を当てにして行うのに対し、養生は自然治癒力を高める工夫ですから、養生のほうがより根本的と言えるでしょう。
これまで私は、自分や家族で簡単にできる養生法を考案し、患者さんや家族に勧めてきました。医療とは、まず患者さん自身の養生が基本にあり、医師など専門家の治療はそれに協力する形が望ましいと考えているからです。
今回は、このように患者さんに勧めている養生法のなかでも、特に現代社会にピッタリな養生法を紹介します。私の養生法は、自分で簡単にできること、お金がかからないことをたいせつにしていますので、ぜひ気軽に試してみてください。
大人は頭が閉じているが赤ちゃんは開いている

まず、人間の頭について説明します。頭蓋骨は、前頭骨、頭頂骨、後頭骨と分かれています。
前頭骨と頭頂骨の継ぎ目は「大泉門」、頭頂骨と後頭骨の継ぎ目は「小泉門」と言います。これらは、赤ちゃんのときは離れており、頭が開いている状態です。
一方、大人では大泉門や小泉門はくっついてしまい、頭が閉じている状態です。頭が閉じていると、脳の活動で生じた熱は行き場がなくなり、熱がこもってしまうのです。
そして、それが原因で頭痛や耳鳴りなどの不快症状、不安、イライラが現れることがあるのです。
さらに、頭が閉じられた状態が長く続くと、なんとか熱を出そうとして、体が開いていきます。そして、その二次的障害として、ひざが痛むなどの不調が起こるのです。
頭が閉じた状態が継続して続くと、体全体が熱を放出しようと外側に開いていきます。しだいに体重は小指側にかかっていくようになり、足はO脚やがに股になっていきます。
悪化すると骨のねじれが起こり、ひざの外側の軟骨がすり減り、痛みを引き起こします。ここで、無理にひざを内側に閉じると、せっかく体が頭を冷やそうとするのを、やめさせることになります。
私はなんとか、脳の熱を自然と放出する方法を生み出したいと考えていました。そのヒントとなったのは、私自身の講演です。講演の後、私の頭頂部からは熱が出ます。脳が活発に働いていたからです。
私は小さい頃から、いつも物事を考えている子どもでした。そのせいで、私の頭蓋骨には、熱を放出するために開く習慣がもともとあったのです。
このことに気がつき、「だから、いくら考えても、私は頭や体を開く必要がなかったんだ」ということがわかりました。そして、頭蓋骨を開く習慣がない一般的な人のために、「脳を冷やす」という養生法の考案に至ったのです。
「脳を冷やす」手法は呪文とイメージがポイント
「脳を冷やす」方法を説明しましょう。まず、両手で頭頂の骨を包みます。そして、大泉門と小泉門を前後に、さらに頭頂骨の真ん中を左右に軽く引っ張ります。
このとき、「ハナレテ・ハナレテ・ヒーロクナール・ヒロクナル」と呪文を唱えます。すると、頭の頂点がポカポカし、目がパッチリするでしょう。頭蓋骨の隙間がわずかに離れて頭が開き、脳にこもった熱が放出されるのです。
力で開けようとするのではなく、呪文を唱えて「頭蓋骨に隙間を作る」イメージを持つことが大事です。
「ハナレテ」というのは、「ハナレロ」とは違います。「ハナレロ」は命令です。「ハナレテ・ハナレテ・ヒーロクナール・ヒロクナル」は誘惑なのです。
子どもが立って歩き始めるときに、親が「はい、がんばって歩きなさい、歩きなさい」と言うのではなく、「ほら、歩けるよ、歩けるよ」と言えば、子どもがそのまま「歩けるよ」という言葉を使えます。向こう側(子ども)の言葉なのです。同じように、「ハナレテ」というのは骨側の言葉です。これが暗示です。
暗示の基本は、そのまま相手がオウム返しできる言葉を使います。ですので、「ハナレロ」ではなく、「ハナレテ」という言葉を使うのです。
身構えが緊張や頭の強張りを産む
「脳を冷やす」のは、特に頭を使った後がよいでしょう。頭をよく使った後には、頭にこもった熱を感じられるはずです。そんなときに、頭を開いて、脳にこもった熱を放出してあげましょう。
また、何か「身構える」経験をした後にも行うといいでしょう。そんな経験の後には、頭が閉じたり、頭が硬くなったりするものです。
例えば、原始社会では、人はほとんど身構えませんでした。ときに身構えることがあっても、それは雷が鳴るなど、非日常的なことに対してだけです。
原始社会の日々の生活は、ほとんどが自然現象の中にあり、それは小さい頃から慣れ親しんだものです。身構えることはあまりなかったのです。
しかし現代では、「鮮度がいい」ことに価値が見いだされ、常に身構える状態を強いられています。
例えば、取引先の人やお客様、初めて会う人など、常日頃、身近にいる人以外に対することも多く、身構えることがよく起こります。身構えるということは、緊張の原型なのです。
すると、頭が閉じたり、頭周りの筋肉に締め付けられて頭が硬くなってしまいます。ですので、そんな身構える状況になった後には、「脳を冷やす」で、頭を開いてあげましょう。
「脳を冷やす」は、あくまで体の反応の抹消です。リラクゼーションには寝ることが最適です。よって、ストレスを抱えやすい現代人ほど、頭を開いて寝ることが重要になると思います。
「脳を冷やす」という養生法は、ストレス社会の現代にピッタリの、よりよいリラクゼーションのための補助手段と言えるでしょう。

体の中心の詰まりを除く「体の中心に気を通す」養生
「脳を冷やす」には、実は続きがあります。これは「体の中心に気を通す」養生の一つであり、続けて行えばさらに効果的な養生があるのです。
心身の状態がよくない人は、体の中心のどこかが詰まっている人が多いものです。ですので、体の中心の詰まりを除き、気を通すことが有効です。
「脳を冷やす」で体の上(頭)を開いたら、次に体の下を開きましょう。やり方は簡単です。イスに腰かけて、両方の内股に手を置きます。
そして、腰を少し浮かすと同時に、両手で骨盤を左右に軽く開きましょう。一回行えばじゅうぶんです。これで、体の下が開きます。
最後に、体が半分に分かれている人型のイラストが描かれた紙を見ながら、自分の体にそのイラストを映し込むイメージをしてください。
つまり、自分の体が2つに割れているイメージを持つのです。このとき見る体が半分に分かれているイラストは、大きいほどイメージがしやすくなります。
この一連の行為で、天地の気が自分の中心を流れるようになります。立ち姿も爽やかになり、気持ちがよくなるでしょう。これがうまくできるようになると、背骨のねじれを防ぐナンバ歩きが可能になります。
イメージや暗示のコツは思い込むこと
「脳を冷やす」や「体の中心に気を通す」では、イメージ(暗示)することがポイントになります。そして、これにはコツがあります。
私は昔、有名な詐欺師の精神鑑定をしたことがあります。そのときに「人をだますコツは何ですか」と尋ねたところ、「自分が言っていることを、まず自分が信じること」という返答がありました。
暗示は自分がその暗示にかかっていると、相手にその暗示がより効きやすくなります。これは、暗示をかける対象が自分でも変わりません。思い込みが強いほど、暗示にかかりやすくなるのです。
例を挙げて説明しましょう。まず、普通にかばんを持ち上げてみます。そしてその後に、かばんを自分の体の一部、もしくは延長だと思い込み、持ち上げてください。
すると、最初に持ち上げたときより、かばんは軽いはずです。「我が物と思えば軽し笠の雪」ということわざがあります。あれはまったくの例え話ではなく、暗示の力なのです。
「脳を冷やす」や「体の中心に気を通す」で、暗示は大事なポイントになります。
養生で最もたいせつなのは「気持ちがいい」を感じること
「脳を冷やす」や「体の中心に気を通す」をはじめ、どの養生にも共通した、いちばんたいせつで基本的なことがあります。
それは、「気持ちがいい」という感覚をつかむことです。気持ちがいいと思ったら、その感覚に浸ってください。
「気持ちがいい」は、その養生が自分に合っているという証です。気持ちがいいという感覚は、今の自分の心身に、どのようなことがピッタリなのかを見つける、たいせつな羅針盤であり、野生の感覚の核心なのです。
中には、気持ちがいいという感覚をつかみにくい人もいるでしょう。「~したい」より「~すべき」を優先して生きてきたような人だと思います。
そんな人たちにとって、気持ちがいいという感覚をつかむのは、自分をたいせつにして生きる練習にもなります。
「楽になった」「ほっとした」——これらも「気持ちがいい」の一種です。少しでもそのように感じた人は、ここで紹介した養生法をぜひ続けてみてください。
≪頭を開いて脳にこもった熱を放出!≫



≪体の下を開く養生≫


≪体が2つに割れるイメージを持つ養生≫

