新型コロナウイルスの感染予防のため、街じゅうで見かけるようになったアクリル板。いずれ、コロナ禍の終息とともに無用になることでしょう。
そんなアクリル板に命を吹き込むように絵を描くアーティストがいます。描くのはフェニックス。コロナ禍から未来に向かって希望の光を見出す荻野綱久さんの「フェニックスの絵」をご紹介します。
●本記事は『ゆほびか』2022年2月号の記事を再編集したものです。
②フェニックスが僕にもたらしてくれたご縁と神獣のアートたち
③「フェニックスの絵」に一目ぼれした私は旗艦店に3点の作品を飾っています
アクリル板に描いた「フェニックスの絵」がコロナ禍の闇から光の未来へと導く
10代からロックバンドで音楽活動をやってきた僕が絵を描き始めたのは、6年ほど前のこと。きっかけの一つは、父(タレントで画家の片岡鶴太郎さん)から現代美術の草間彌生さんのドキュメンタリーDVDを勧められ、見たことでした。草間さんの作品から、ロックに目覚めたときのような衝撃を受け、アートの世界に引っ張られるようなかたちで、初めて絵筆を手にとったのです。
もともと僕はアートに疎く、絵の勉強もしたことがありませんでしたが、下描きもせずにインスピレーションのおもむくまま、キャンバスに描き始めました。ギターを触っているうちに自然とメロディーや歌詞が浮かんできますが、それと同じような感覚です。
自分にどんな絵が描けるのかわからないながらも、「アートだからこそ表現できるものがあるはずだ」「自分が描きたいものが自ずと出てくるだろう」と思いながら、自分の感性だけを頼りに描き続けました。すると、ある日突然、フェニックスの絵ができていたのです。
ほんとうに、ただ無心に筆を走らせ、色を重ねるうちに「気づいたらできていた」という感じでした。完成した絵を見たとき、「こういう作品を描くために、僕は絵の世界に導かれたんだろうな」と腑に落ちました。
それ以来、フェニックスは僕の作品の代名詞のような存在になっています。ドラゴンやユニコーン、女神など、さまざまなモチーフの作品を描いていますが、自分にとっていちばんしっくりくるのは、やはりフェニックスです。
フェニックスの絵をきっかけに、人との出会いや活動の場がどんどん広がったこともあり、いいことを引き寄せてくれる不思議な力があるように感じます。僕にとっては、自分を導いてくれる「守り神」のような存在です。
無用になるアクリル版に新しい命を吹き込む
僕は2021年6月に、東京・表参道のAoビルでアクリルボード・アート作品展を開きました。アクリル板にアクリル絵の具で描いた作品だけを集めた展示会です。
アクリル板を表現ツールに選んだきっかけは、コロナ禍で飛沫感染防止のため、街の至るところでアクリル板が設置されるようになったことでした。今は、アクリル板は人と人を隔てる存在ですが、アクリル板に絵を描くことで、人と人をつなげる存在にできるのではないか、と思ったのです。
いずれコロナ禍が終息すれば、世の中に今あふれているアクリル板のパーテーションは無用のものになるでしょう。アートの力で、ゴミとなるアクリル板に新しい命を吹き込むという意味でも、おもしろい試みになると思いました。
僕がアクリル板に描いてきた作品は、7~8割がフェニックスです。フェニックスは、アクリル板とすごく相性がいい。透明なアクリル板にフェニックスを描くと、キャンバスとは違い、その空間にフェニックスがいて、そこから飛び出てくるような迫力ある仕上がりになるのです。
フェニックスは不死鳥で、数百年生きたあと炎の中で死ぬけれども、再びよみがえり、永遠の時を生きるとされています。「コロナから未来に向かって希望の光を見出す」というメッセージを伝える意味でも、フェニックスはアクリル板アートにぴったりなモチーフだと感じています。
今回、『ゆほびか』誌面で僕の作品を紹介するために、アクリル板に描いたフェニックスの絵を、初めて屋外で撮影してみました。アトリエから絵を持ち出して、歩道橋の上で二人がかりで絵を空に掲げて撮影したのが、下の写真です。
大空をフェニックスが舞っているような写真が撮れ、アクリル板アートならではの魅力を表現した作品になりました。
僕が描くフェニックスやドラゴンなどの神獣は、目に見えない存在です。でも、これからの時代は、目に見えない存在がより身近になり、目に見えないものを感じ取ることが大事になっていくと予感しています。アクリル板アートは油絵よりも、目に見えないものをリアルに感じてもらいやすい。アクリル板に絵を描くことは僕の表現方法の一つとして、これからも続けていくつもりです。
(②に続きます)
②フェニックスが僕にもたらしてくれたご縁と神獣のアートたち
③「フェニックスの絵」に一目ぼれした私は旗艦店に3点の作品を飾っています