贅沢やギャンブルに使われると、お金は悲しむ
すべての鉱物、すべての植物、すべての動物、すべての人間は、「喜ばれたい」と思って、生きています。
植物、動物、人間はともかく、鉱物や無機物が「生きている」とは、どういうことなのか。それは、「機能がある」ということです。
例えば、コーヒーカップ。コーヒーを入れられる状態なら、「機能がある」状態。それを別の言い方にすると「生きている」となるのです。カップが壊れ、コーヒーを入れられなくなったら、「死んだ」ということ。
「生きている」とき、そこには「魂」があります。魂は、鉱物、植物、動物、と生まれ変わり、ついには人間となります。私たちは、鉱物から何度も生まれ変わり、ここまでたどりついた存在です。鉱物であれ、人間であれ、魂の方向は1つ。「喜ばれたい」「喜ばれるとうれしい」というものです。
お金も同じで、「喜ばれたい」。だから、貯めこまれたり、自分の贅沢のためばかりに使われたりすると、お金は悲しいらしい。
財布の中ではお金たちが、毎晩毎晩、情報交換しています。
「この人のところにいても、なかなか使ってもらえないよね」「○○さんのところは、自分の贅沢やギャンブルばかりで、私たちは、あまり喜ばれない存在になってしまうみたい」「△△さんは、とても喜ばれるように私たちを使ってくれるんだよ」「じゃあ、私も仲間といっしょに△△さんのところに行ってみたいな」というわけです。
はやらないラーメン屋でお金を使うといい
人もお金も喜ぶお金の使い方の例としては、あまりはやっていないお店でお金を使うことです。
ものすごくはやっているラーメン屋さんは1日1000食も出るそうです。私が払うラーメン代金は、1日の儲けの1000分の1。
その隣に、ほとんど客が入っていないラーメン屋があります。そこで私が払うラーメン代は、10分の1にもなるかもしれません。そういう店での支払いは、ものすごく喜ばれます。
おいしくないラーメンが出てきてもいいのです。「おいしくなってくれてありがとう」「私の体の一部になってくれてありがとう」と声をかけると、ラーメンがおいしくなります。
ほかの食べ物でも同様です。お金の「喜ばれたい」気持ちに応えていると、3年後くらいから、不思議とお金が入ってくるようになるようです。(『小林正観CDブック 神様を味方にする法則』より)