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【山本光輝】稀代の書家が会得した 「神降ろし」で無限の力を得る技術(①)

天地光彩
(山本光輝)

合気道の開祖である植芝盛平先生に師事

 私は現在、「いろは・ひふみ呼吸書法」を皆様にお伝えしながら、言霊の力が秘められた書画を制作する書家として活動しています。

 たくさんの方々から、私の書画には不思議な力があるとの声をいただいていますが、私の活動の原点となっているのは、合気道です。

 昭和39年、初の東京オリンピックが開催された年のこと。27歳だった私は、合気道の開祖である植芝盛平翁の門下生になりました。当時、植芝開祖はすでに70代後半のご高齢でしたが、神がかった存在でした。

 合気道の本部道場稽古場は3階ですが、お弟子さんにお尻を押されながら階段を昇っていく植芝開祖を見て、「さすがにお年なのかな」と思いました。

 ところが、いざ3階の道場に足を踏み入れると、植芝開祖はにわかに別人のようになりました。背筋がピンと立ち、サササーッと軽やかに道場の畳の上を動かれるのです。

 そして開祖は、門下生たちに稽古をつけますが、身長156センチの小柄な老人が、門下生たちをいとも簡単にポーンポーンと投げ飛ばす姿は圧巻でした。

5人が同時に飛びかかっても、ひらりひらりと身をかわし、全員を倒すのです。その不思議な光景に、私は「門下生とのやらせなのでは?」と思いました。

植芝開祖は、そんな私に感づいたのでしょう。「わしは立っておるから、押してみなさい」とおっしゃいました。

 そこで、植芝開祖の腰に両手を当て、グッと押してみたのですが、びくともしません。私は柔道有段者でしたが、まるで大きな建物の壁を押しているような感覚で、力を込めるほどに足が畳の上を滑るばかり。汗がどっと噴き出してきました。

「何やってるんじゃい」と植芝開祖が私の背中を手で軽くポンと叩いた瞬間、天上からものすごい圧力を感じ、私は畳の上に大の字でベタン!と倒れました。

まるで、車に轢かれてぺしゃんこになったカエルのようです。まさに、開祖の神技を目の当たりにしたのでした。

植芝盛平

娘の書いたいろは文字の無邪気さに気づかされた

 その後、私はグラフィックデザインの仕事をしながら、前衛書家の池田水城先生に師事しました。

友人の紹介でお会いして言葉を交わしたとき、池田先生の説く書道に植芝盛平開祖や合気道との共通点があることがわかり「この先生は本物だ!」と確信したからです。

 しかし、書道家となって十数年経った頃、ひどいスランプに陥りました。池田先生の友人である高名な先生に作品をほめられたのがきっかけです。

「もっといい作品を書かねば」という意識が出て、書いても書いても、納得できる作品ができなくなってしまったのです。

 行き詰まっていたとき、当時小学生だった娘が、ふらっと私の仕事部屋に入ってきました。

娘に「お父さん、うまく書けなくてねえ。ここに〝いろは〟って書いてくれないか」と筆を渡すと、彼女は「い・ろ・は」と声に出しながら、スーッとためらいなく書きました。

 それを見た瞬間、涙が出てきました。「この無邪気な線が書けていないのだ!」と気づかされたのです。

「いろはからやりなおせ」という言葉があります。初心に戻れという意味です。当時は漢字作品のみを書いていましたが、ひらがなで作品を書き始めました。日本語の大元である「いろはうた」の48文字の習作を繰り返したのです。

 あるとき、書きためた書の山をパラパラとめくって見ていると、文字の流れる線にキラリと光が見えました。私はこの光の線を追究しようと決め、夢中で書き続けました。不思議と何百枚、何千枚と書いても疲れないようになりました。

(次回に続きます)