●本記事は『ゆほびかGOLD』2020年10月号に掲載されたものです。
新型コロナウイルスが日本人にもたらしたもの
2020年4月、政府は新型コロナウイルスの感染症対策として、緊急事態宣言を発出しました。
宣言が発出される前、中国でコロナウイルスが蔓延している報道が出始めた2月頃から、宣言解除後までの数ヵ月間で、世の中は大きく変わってしまいました。この間、僕は日本人に降りかかった次の二つの問題を懸念しています。
第一に、伝統的に持っていたほどよい人間関係が壊れてしまったことです。 コロナ騒動を経て、日本人がもともと持っていた、優しさや親切心といったよさが崩壊して、極度に排他的になったと思います。 以前であれば、田舎に行けば、知らない人でも、気軽に声をかけたり、助け合ったりしたものでした。
しかし、コロナ禍の悲惨なニュースが、毎日メディアで流されるにつれて、まるで洗脳されたように、他者との接触に過敏になりました。身体的な距離だけでなく、心も遠くなりつつあると懸念しています。
第二に、「死」を過剰に恐れるようになったことです。 コロナ禍の以前でしたら、たとえインフルエンザや肺炎で亡くなっても、「運が悪かったのかもしれない」と、どうにか受け入れられていたものが、新型コロナ=死という考えが、メディアによって浸透し、多くの人が過剰なほど死を恐れるようになったと感じています。
日本人は、新型コロナ問題が起こる前から、戦後政策の一つである長寿社会実現のため、一日でも長く生きることがよいことだという考えをよしとしてきました。
そんな背景の中で、連日新型コロナの感染者や犠牲者の数が発表され続けたわけです。死亡のニュースに日々触れるたび、死に対する恐怖が、驚くほど増幅していったのです。 明治以前の武士の考え方では、死は尊いものではあっても、現代のように忌いみ嫌うものでなかったように思います。
伝統的に日本人は、輪廻転生という、次の生に生まれ変わる思想をよりどころとしていたので、さほどの死への恐怖はなかったはずです。
しかし、戦後日本人は、だんだん今世にしがみつくようになっていきました。 今では、感染を過剰に恐れる一部の人は、自分が生き延びるために、他者への配慮を失ってしまったのではないかと感じています。
日本人にとっての〝ファクターⅩ〞の解明がカギ
世界的規模で拡大した新型コロナウイルスですが、日本は当初、他国と比べ、PCR検査の数は少なく、中国や韓国のようにスマートフォンのGPS機能を用いた感染者監視を行うこともありませんでした。それでも、日本人の感染者数・死者数が、欧米などと比べて少ないことは、周知のことと思います。
この状況を受けて、ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授は、「私は感染症の専門家ではないが、日本の感染拡大が欧米に比べて緩やかなのは、絶対に何か理由があるはずだと思います。その理由を、私は仮に『ファクターX』と呼びたいと思います」と発言されました。
つまり、山中先生は、日本人にとってのファクターXを突き止めることが新型コロナウイルスと闘ううえでのカギであり、コロナ問題を収束させる可能性につながると指摘したのです。
では、ファクターXは、具体的にはなんなのでしょうか。
これからお話しするのは、僕個人の見解として読んでください。 結論をいうと、日本の国土や風土、縄文時代から続く習慣や生活様式が、ファクターXの大きな要因ではないかと僕は考えています。
日本の土に含まれる善玉菌や各種ミネラルといった、体を健康に保つ土壌成分を生かした暮らしは飛鳥・奈良・平安時代の陰陽師によって指導され、継承されてきました。
こうした健康のための生活様式、すなわち通気性がよく、体によいとされる日本建築、病気に抵抗する免疫力を高めるとして世界が注目する和食の文化など、日本古来の暮らしぶりが感染症対策に有効に働いたのではないかと考えています。
不衛生だった都の貴族に陰陽師が伝授した知恵
では、歴史をひも解きながらお話ししていきましょう。
今から1200年以上前、平安遷都(794年)により、京に都が置かれました。京都は盆地で、鴨川などの氾濫原を抱え、水はけの悪い湿地が多く、汚水がたまりやすい土地でした。
当時の都は臭くて、食べ物は腐りやすく、衛生状態は最悪だったようです。文献にも、何度も赤痢や咳病などの流行り病に見舞われたことが記されています。
都の不衛生状態を解決しようとしたのが、当時、陰陽寮で働いていた陰陽師たちです。平安遷都以前の陰陽寮では、作物がうまく育つように占いや気象、暦といった情報の管理が主でしたが、平安時代に入り、今でいう衛生管理も手がけることになったようです。
病から天皇家や朝廷の貴族を守るために陰陽師たちが行った儀式や儀礼が、今も引き継がれて宮中作法の中に残っています。例えば、塩を使った浄化法です。
当時、最強の防腐剤は、塩でしたから、陰陽師たちは、粗塩をたびたび地面にまいて、街にたまった汚水をできるだけ腐敗させないようにしていました。
この陰陽師が粗塩を地面にまくという行いが、実は、お清めの始まりとされ、その後、いろいろな場面で粗塩をまくようになったのだといわれています。
(次回に続きます)