●本記事は『ゆほびかGOLD』2020年12月号の記事を再編集したものです。
②万物に尊敬と感謝を表す「おかげさまで」
やまと心がよく表現されているやまと言葉が、「おかげさまで」という言葉です。感謝の気持ちを表す言葉ですが、挨拶をしてくれた相手だけに言っているのではありません。
あらゆる物のおかげで、私が今ここに元気でいることができますという気持ちが込められています。
私たちは、多くのご先祖と、自分を産み育ててくれた親や家族、人生で直接・間接的に関わりのある人たち、そして日々の食事をもたらしてくれる天地の恵みや、水や空気など、あらゆる物や人のおかげで「生かされている」のです。
「おかげさまで」の言葉には、すべてはつながり、お互いに共生していることと、万物に対する尊敬と感謝の心が表現されています。この言葉を発することによって、相手と自分を含めた森羅万象に感謝と祝福を伝えていることになります。
ところで、日本語はしばしば「主語を使わない言語」と言われます。先の「おかげさまで」のほかにも、食事どきに使う「ご飯できたよ」「いただきます」といった言葉にも、主語がありません。「日本語は主語がないからあいまいで非論理的である」と評する人もいますが、私はそうは考えません。「私は」などの主語を省略することで、より深く大きな意味を言葉に与えているのです。
例えば、「ご飯できたよ」という言葉には、まるで「大いなる場の力」によってご飯が出現したかのようなニュアンスがあります。
この食事は、調理をした人の力だけで完成したわけではなく、天地の自然の恵みや、食材の生産や流通に携わる人など、あらゆる物や人のおかげでここにある、という意味を含んでいるのです。「いただきます」という言葉も同様の想いが含まれています。
これらの言葉に共通するのは、万物に命を見て、すべてがつながった無限の世界と一体となった存在として自分をとらえていることです。これは悟りの境地であり、言語の中に悟りを織り込んでいるのが日本語であり、やまと言葉なのです。
日本人のDNAに受け継がれるやまと心
日本文化の中で生まれ育ち、日本語を話して生活している私たちには、無意識のうちにやまと心が備わっています。
やまと心は、日本人のDNAに脈々と受け継がれているものですから、理解することは決して難しくありません。やまと心をより深く理解するために、下にやまと心が持つ八つの働きをまとめました。
「包み込む心」「想いやる心」「感謝する心」などは理解しやすいと思いますが、「有限と無限を感じる心」は少し補足説明をします。
私たちは限られた時間の中で、有限な肉体を持って生きています。しかし、その有限さを嘆くのではなく、過去も未来も含めたすべての世界につながっている無限さを知ったうえで、自分の肉体の有限さを感じる心を持つことがたいせつです。
たとえあなたが、争いのない平和な世界を創りたいという壮大な想いを抱いていても、百年足らずの生涯でできることは限られています。
しかし、限られているからこそ、それが自分の天職にもなりうるのです。限りある人生のなかで自分ができることを精一杯やることで、生きがいや幸せも感じられます。
そして、有限のなかに無限が潜んでいることも、忘れてはなりません。あなたの志を受け継いで、あなたがやり残したことを引き継いでくれる人が必ず出てきます。魂や志は、永遠の命を持つのです。
(③に続きます)