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【坂本屈伸道】大実業家・渋沢栄一の長生きの秘訣!1日5分で健康力アップ!(その①)

昭和4年6月1日に撮影された渋沢栄一(右)と坂本謹吾(左)

2021年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』でも話題となり、2024年からは新1万円札の肖像になる明治・大正・昭和の大実業家・渋沢栄一。彼が82歳から毎日実践し、88歳のときに「そのおかげで健康を保っている」と推奨した健康体操があります。
それは、東京・小石川で小さな寄宿舎を営んでいた坂本謹吾という人が開発し、さまざまな病気や症状の回復に効果を発揮した健康体操「坂本屈伸道」。体を屈めて、おなかをめいっぱい凹ませて、ゆっくり戻し、上体を天に伸ばします。「自然治癒力が高まる」と、現代の医師も太鼓判を押します。

昭和の初めに大ブーム!平均寿命40歳の時代に91歳まで生きた渋沢栄一も実践

私は以前、気功教室で「坂本屈伸道」を紹介したことがあります。気功を学ぶ人だけでなく、健康を望むすべての人にとって、坂本屈伸道はとても有益な体操だと感じています。
そんなご縁もあって、今回「長生き体操」として坂本屈伸道を紹介するにあたり、解説をさせていただきます。

坂本屈伸道は、柔術家の坂本謹吾という人物が、大正時代末期に考案した健康体操です。現在は指導者や後継者がほとんどおらず、その概要を知るための文献は、昭和4年に刊行された『坂本屈伸道』という著書しか残っていません。

昭和4年(1929年)に出版された坂本謹吾著『坂本屈伸道』(教育研究會)

現在は、国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができる
https://dl.ndl.go.jp/

時代の流れとともに忘れ去られてしまった感がありますが、坂本屈伸道は昭和の初め、一大ブームを巻き起こしました。先の本には、昭和2年1月25日、坂本屈伸道が初めて世に向けて発表されたときの様子が活写されています。

発表会場となった時事新報社の講堂には1000人近い来聴者が押し寄せ、立錐の余地もない満員御礼に。そして、東京帝国大学教授で医学博士の二木謙三氏や永井潜氏、医学博士で軍医正の樋口元周氏らが、医学的に見た坂本屈伸道の有用性について記念講演を行い、渋沢栄一子爵らの名士が、坂本屈伸道を推奨する挨拶を行いました。

これらを前座に、最後に坂本謹吾が壇上に立ち、屈伸道の説明と実演を裸で行ったのです。

当時の医学界のトップの面々がお墨付きを与え、約470社もの企業の創立と発展に寄与し、のちに「日本資本主義の父」と呼ばれる実業界の大物・渋沢栄一が推薦の言葉を述べてデビューに華を添えました。今の時代を考えても、これほど大々的なかたちで世に登場した健康法は、そうないでしょう。

屈伸こそ万物を貫く法則で体の弾力性が心身健康の鍵

上の写真は、坂本謹吾本人による屈伸道の実演です。動作としては非常にシンプルで、体を丸く屈めて、おなかをめいっぱいに凹ませたあと、ゆっくりとおなかを膨らませる。そして、おなかが元の通りになったら、屈めていた体を伸ばして、首を少しだけ後ろに反らせる。これを、ゆっくりとしたペースで5分ほど繰り返すだけです。

坂本謹吾は、本の冒頭で「屈伸道とは天地自然の道であり、禽獣草木(動物や植物)の道であり、また人間自然の道である」と述べています。人間の内臓や皮膚、血管をはじめ、生体のあらゆる臓器は常に屈伸(伸び縮み)を繰り返しています。草木や動物も、寒い季節には縮こまり、暖かくなると伸びて成長していきます。

このことから、坂本は「屈伸」こそが万物を貫く法則であり、屈伸という天地自然の道に順応していくものは自ら栄え、この道に逆行するものは枯死を免れない、と考えるようになります。

屈伸を可能にするのは、人体に備わっている「人間弾力性」である、と坂本は看破しました。体の弾力性が強ければ、心臓はよく伸びて多くの血液を収め、よく縮んで全身にくまなく血液を送り出すことができます。

肺も、多くの空気を吸い込み、十分に吐き出すことができます。消化・吸収・排泄という内臓の働きも、よくなります。精神的な弾力性が強ければ、苦痛や困難にも耐え、元気でいられます。つまり、肉体的にも精神的にも健康でいられるのです。

最大の魅力は、シンプルで簡単にできること

では、どうすれば人間弾力性を高めることができるのか。その方法として坂本謹吾が編み出したのが、坂本屈伸道です。

さまざまな整体法や気功を学び、実践してきた私の目から見ても、坂本屈伸道は健康法として真理をついていると感じます。

東洋医学では、体内を流れる気・血・水の流れが滞ると、病気や不調につながると考えられています。血の流れが特に滞りやすいのが腹部で、これはおなかを柔らかく膨らませたり凹ませたりすることで血や水の滞りが解消され、内臓の働きもよくなります。

また、体の正中線(※)には、督脈と任脈という気の通り道があり、背骨を丸めたり伸ばしたりする動作を行うことによって、体内を循環する気の流れも整います。

※ 左右対称形の生物体で、前面・背面の中央を頭頂から縦にまっすぐ通る線

坂本屈伸道の最大の魅力は、シンプルで誰もが簡単にできることにあります。

私は「本物の健康法」とは、余計なことをそぎ落として方法がシンプルであること、誰もが簡単に飽きずに続けることができ、どんな人にも抜群の効果があることが絶対条件だと考えています。

その意味でも坂本屈伸道は、まさに本物の健康法だと思います。

渋沢栄一は82歳から毎日実践した

「坂本屈伸道」を実践する渋沢栄一90歳のときの写真

坂本屈伸道の健康効果を示す最大のエピソードは、渋沢栄一が晩年、毎日実践していたことでしょう。

渋沢栄一は82歳のときに坂本屈伸道と出合い、ときどき自宅に坂本を呼んで、熱心に屈伸道の修行に励んだと伝えられています。

渋沢栄一の伝記資料には、最晩年の日課として、次のように記されています。「朝は6時半に起床して洗面、時々坂本氏の屈伸道を行う。在宅のときは、新聞・雑誌及び書物を読ませて聴く。夜は10時頃就寝」。

『坂本屈伸道』の本には、屈伸道を実践する渋沢栄一の写真と出版に寄せた揮毫が掲載されています。

『坂本屈伸道』出版に寄せた渋沢栄一の揮毫

同書には「渋沢栄一子爵は、大正10年7月、82歳をもって屈伸道を修行せられ、爾来、毎朝入浴前におよそ10分間くらいずつ練習をされ、90歳の今日に至るまで、元気極めて旺盛で、胃腸の健康も非常に増進し、血色もよくなったと常に喜悦面に満ち、来訪のジョッフル元帥(第一次世界大戦時のフランス陸軍総司令官)なども、その矍鑠たる雄姿に接し驚嘆したほどである」と記されています。

日本人の平均寿命が40歳代という明治期に91歳という長寿を全うし、亡くなる前年まで生涯現役を貫いた渋沢栄一の健康の秘訣の1つが坂本屈伸道にあったことは間違いないでしょう。また、渋沢栄一は、原敬や加藤高明など歴代の首相や、岩崎久彌男爵(三菱財閥3代目総帥)、井上準之助(日本銀行総裁、大蔵大臣)らにも坂本屈伸道を勧めました。当時の政財界のトップや上流階級の大物に坂本屈伸道の実践者が多かったのは、渋沢栄一の影響力によるところも大きかったと思われます。

坂本謹吾自身も、屈伸道の効果を体現する1人でした。この特集に掲載した写真は、坂本が62歳頃に撮影されたものと推測されますが、実年齢よりもはるかに若く見えます。本にも「屈伸道を始めて以来、年々若く見られるようになった」と書かれているので、若返り法としても大いに効果があるといえるでしょう。
(次回②に続きます)