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【坂本屈伸道】大実業家・渋沢栄一の長生きの秘訣!1日5分で健康力アップ!(その④)

昭和4年6月1日に撮影された渋沢栄一(右)と坂本謹吾(左)

2021年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』でも話題となり、2024年からは新1万円札の肖像になる明治・大正・昭和の大実業家・渋沢栄一。彼が82歳から毎日実践し、88歳のときに「そのおかげで健康を保っている」と推奨した健康体操があります。
それは、東京・小石川で小さな寄宿舎を営んでいた坂本謹吾という人が開発し、さまざまな病気や症状の回復に効果を発揮した健康体操「坂本屈伸道」。体を屈めて、おなかをめいっぱい凹ませて、ゆっくり戻し、上体を天に伸ばします。「自然治癒力が高まる」と、現代の医師も太鼓判を押します。

本物の健康法運動不足でストレス過多な現代人にピッタリな「長生き体操」こそ本物の健康法

坂本屈伸道の考案者・坂本謹吾とは、どのような人物だったのでしょうか。ここでは、その人となりについて見ていきたいと思います。

坂本謹吾は明治元年(1868年)頃、越後新発田(現在の新潟県新発田市)に生まれました。父は医師でしたが、明治10年の西南戦争の際、軍医として戦地に赴き、そのときの無理がたたって明治16年に43歳で亡くなります。母は長命で、75歳まで元気だったといいます。

坂本は郷里で荒木新流の柔術と自然流の水泳を学び、20歳頃から高等小学校の教育に携わってきました。当時から健康の重要性を説き、明治34年には「国民個人の幸福と各国国際の平安をはかるには、心身の完全円満をはかることが必要だ」という考えのもと、当時の松田正久文部大臣に人物養成策を建白します。

その後、新潟県知事からの要請で新潟中学校の舎監を務め、国語・漢語、地理・歴史、柔術、水泳などの科目を教え、生徒たちの心身の鍛錬に尽力しました。

明治39年、坂本は上京して小石川に修養塾という小さな寄宿舎を開きます。塾生は中等学校や専門学校、大学などに通う学生が主でしたが、坂本は朝夕に各自の学科の練習のほか、柔術、当て身、棒術、水泳なども教えました。

坂本が東京で修養塾を開いて間もない明治39年12月、小艇に分乗していた50余名の水兵が品川沖に停泊する千歳艦に向かう途中、荒波で転覆し、全員が凍死するという痛ましい事故が起きました。

この水兵凍死事故に坂本はショックを受け、「このような大不孝を二度と起こさないためには寒中水泳訓練が必要ではないか」と考えます。そして明治40年1月27日、隅田川で寒中水泳を決行したのです。大寒の時期の隅田川を泳ぐというのは前代未聞であり、極めて危険な行為です。坂本は事前に警視庁の大物から許可を取り、水上警察署の署員たちを説き伏せて寒中水泳に臨みました。

坂本は4日間にわたり、厳寒の隅田川の水泳横断を成功させます。このニュースは新聞に大きく報道され、多くの都民が見物に集まり、ふんどし一丁で隅田川を泳ぎ切った坂本に拍手喝采を送ったといいます。

この寒中水泳は、翌年以降も毎年続けられました。しかし、水泳教師の坂本といえども、水温3〜5℃の中を泳ぐのは文字通り命がけで、何度も死にそうになったといいます。翌年の寒中水泳では、坂本はしょうゆを飲む、塩を入れた湯を飲む、体に油を塗って泳ぐ、着物を着こんで泳ぐなど、ありとあらゆる耐寒法を試し、その結果を陸軍省と水難救済会に報告しました。

さらに、坂本は寒中水泳に耐えられる体をつくるために、禅、鎮魂伝、息吹の伝、按摩と按腹、圧迫療法、カイロプラクティック、腹式呼吸法、導引法(気功の一種)など、あらゆる健康法を自身で試しました。そんな経験の中から、坂本屈伸道が生まれたのです。

なぜ腹には骨がないのか約1年間考え続けた

寒さに耐える訓練のため、坂本は毎朝、裸で棒術や当て身の練習を行っていましたが、ある日ふと「腹に骨がないこと」に気づきます。

頭には頭蓋骨が、胸には肋骨があり、脳や心臓、肺を守っています。しかし、胃腸や肝臓をはじめ重要な臓器が集まっている腹には、内臓を取り囲む骨がありません。約1年間、この「腹の謎」を考え続けた坂本は、次のような答えにたどり着きます。

腹に骨がないのは、屈めるという必要性があるからである。人間の体には、首、腰、ひざなど、屈むことができるしくみになっている場所が何カ所もある。人間にとっては、この「屈む」ということが必要不可欠であり、屈むのと反対に「伸びる」ことも必要不可欠である。腹には、この伸び屈みをしなければならないために、骨がないのである。

また、腹には凹ますという働きも付与されている。全身のどこを見ても、腹以外に凹む場所はほとんどない。内臓を考えると、心臓も肺も胃も腸も、みんな凹む働きを持っている。凹ませば、また膨らませて元に戻さなければいけない。腹や内臓は凹ませ、膨らませることによって、必要なものは吸収し、送り出すべきものを送り出している。人が生きていくためには、この凹ませたり、膨らましたりすることを一刻でもやめることはできないのである――。

この発見をもとに、体を屈めて伸ばす屈伸と、腹を凹ませて膨らませる虚実を簡単な動作の中に組み込んだ坂本屈伸道を考案したのです。

健康の実現は社会の繁栄と幸福増進につながる

「坂本屈伸道」を生み出した坂本謹吾

私は、坂本謹吾という人物は、人間のことが大好きな人だったんだろうな、と思います。そして、とても純粋で探求心が旺盛で、体と健康のことについて真剣に考え続けた人だと感じます。

『坂本屈伸道』の序文は「われわれが父祖に承けて子孫に伝えるこの体は、誠に無二の宝物である。これを健全に保持することは、孝行であり慈愛である」という一文から始まります。

人々の健康を実現することは、親孝行であり子孫に命をつなぐことであり、日本の社会全体の繁栄と幸福の増進につながる、と坂本は本気で考えていたのでしょう。

その熱意と人柄の魅力に、渋沢栄一をはじめ当時の有力者たちも心を動かされたのだと思います。

坂本謹吾は、屈伸道の修行の場として坂本屈伸道院を開き、午前中は来院者の指導を行い、午後は訪問指導にあたりました。しかし、後継者に恵まれなかったのか、時代の流れとともに忘れ去られました。

本物の健康法は、得てしてあまりにシンプルで簡単なために、難しくて習得が大変な方法のほうが効果がありそうに思えて、人々の関心が薄れてしまう面もあります。

しかし、坂本屈伸道は昔のものとして埋もれさせるにはあまりにも惜しい、すばらしい「長生き健康法」です。忙しく、運動不足でストレス過多な現代人にぴったりな方法なので、ぜひ試していただきたいと思います。