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【並木良和&やましたひでこ】見えるモノ見えないものの断捨離~そしてその先にあるもの③

眠りの時代から目醒めの時代へ乗り換えるため、心を重くしているネガティブな感情を手放す。手にしたときは希望に満ちていたのに、不安や無価値観、罪悪感に変わったモノを手放す。その先にあるものは、光と風を感じて軽やかに生きるほんとうの自分の再発見!新たな心境に立つお二方に、新しい生き方のお話をうかがいました。

並木良和さん と やましたひでこさん

●本記事は『ゆほびか』2022年2月号の掲載記事を再編集したものです。

【やましたひでこ】「モノの断捨離」も心をクリアにする行為。その先にあるのは新たな希望

 「断捨離を始めてみたけど、なかなかモノが捨てられない」という悩みをよく耳にします。断捨離では、今の自分に必要なモノ、ふさわしいモノ、自分にとって心地いいモノだけを残し、それ以外のガラクタは捨てます。

 もう自分には必要ないガラクタだとわかっているのに、なぜ捨てられないのか。それは、モノというのは結局、私たちの心の中にある不安、無価値感、罪悪感が物質化したものだからです。

 ただ、始めからそういうわけではありません。最初は、希望でした。「これが必要だな、あると便利だな、楽しいな」という希望に満ちて、そのモノを手に入れたはずです。それを愛用している間は、そのモノはあなたに喜びや希望を与えてくれます。

 しかし、時間の経過とともに、自分とモノとの間の関係性も変わっていきます。最初のうちは気に入って愛用していたけれど、なんとなく気分に合わなくなり、登場回数が減る。生活が変わって、使わなくなる。

 もう必要ないのに、「高かったから」「まだ使えるから」「なくなると不安だから」「捨てるのはめんどう」などと理由をつけて、捨てずに保留・保存・放置してしまいます。すると、そのモノは、不安や無価値感、罪悪感が物質化したものに変わってしまうのです。

 モノは、希望で取り入れたら希望の品、不安で留め置いたら不安の品として、周囲に堆積していきます。あることさえ忘れて放置されたモノは、自分の心の中にある無価値感が物質化したものとして、もったいなくて捨てられないモノは、罪悪感が物質化したものとして、そこに住む人を圧迫し、閉塞感に追い込んでいきます。

 そんな状態が続けば、生命の活力が萎えていき、生き生きとした自分はどんどん遠のいていきます。

 だからこそ、断捨離が必要なのです。必要なモノ、最適なモノというのは、「その時、その場の、そこにいる人」によって常に変化していきます。ですから、自分にとって必要なモノ、ふさわしいモノ、心地よいモノは何かということを常に意識して、そうでないモノとはきちんとお別れをしていく。

 出合ってお別れするまでの間は、手入れをして、たいせつに使い込む。そんな姿勢でモノと向き合うことがたいせつです。ところが、ほとんどの人たちのモノとの向き合い方は、それとは真逆です。手に入れたけど手入れをしない。手をかけない。

 それでいて、いざ捨てるとなると、「モノを捨てるなんてもったいない」と言う。もう必要ないということは、関係性においてに亡骸になったわけですから、きちんと荼毘に付してあげるべきです。

 死蔵されたモノの立場からすれば、「放っておくくらいなら、捨ててくれよ」と訴えていることでしょう。その場にいるのに、自分の存在を忘れ去られてしまうことほどつらいことはありません。見捨てられたモノたちからは、大事にされない悲しみ、暗くよどんだ重い気が発せられ、その空間全体に蔓延していくのです。

不要になったモノを手放すと心がクリアに

 では、断捨離を行うと、自分の内面と居住空間は、どのように変わっていくのでしょうか。

 自分に必要なモノを取捨選択することは、モノを通して自分自身と向き合うことでもあります。自分の思考・感覚・感性を大事にして、今の自分にとって必要なもの、価値あるものだけを残し、不要なものを手放す。

その行為を繰り返すことによって、心の中もどんどんクリアになり、不要なものがそぎ落とされていきます。自分にとってほんとうに必要なものは何かがわかり、自分の人生の選択権は自分にある、という自信と確信も深まっていきます。

 一方、必要なモノだけを残して、スッキリと美しく整えられた居住空間は、そこに住む人を元気に、ごきげんにしてくれます。

 私たちは常に、自分がいる空間の波動に影響を受けています。誰でも、暗く汚い部屋や、ゴミゴミした空間にいたら、否応なく気分が沈みます。反対に、きれいで快適な空間は、いい波動と雰囲気を生み出し、そこにいる人に活力や安らぎを与えてくれます。断捨離は、自分を癒やし、ねぎらい、もてなし、励ましてくれる応援空間を自分でつくり上げることでもあるのです。

 こうして、断捨離をすると、自分をたいせつにする生き方・暮らし方ができ、自分軸で、自分の人生を主体的に生きていくことができるようになるのです。

コロナ禍の”篭城生活”で強く思ったこと

 コロナ禍の自粛生活で、多くの人が外出を控え、家にこもる日々が続きました。私も例外ではなく、東京で〝籠城生活”を送りました。

 そのとき、まず感じたのが、「ここにいる意味がある?」ということでした。多種多様な人やモノ、コトが集まる「過密」な都市であることが、東京の最大の魅力です。その魅力を享受できないなら、東京にいる意味がないと思いました。

 同時に思ったのが、「誰も知り合いがなく、1人きりで部屋にこもっている人は、どうなってしまうんだろう?」ということです。孤独で孤立して、不安を募らせながら、外出もできずに籠城生活を送っている人たちのことを思うと、この難局を乗り切る手立てを考えなければいけない、と強く思いました。

 そんな中から生まれたのが、「指宿リトリート構想」です。リトリートとは、「隠れ家・待避所」という意味。家は私たちにとって、自分を守り、励ましてくれる応援空間ではありますが、自分を縛る「檻」でもあります。ときには、その檻から離れて自由になることも必要でしょう。

 また、今は家族と一緒に住んでいても、いつかは1人きりになるときが来ます。そんなとき、完全に孤立せずに、共感できる仲間と緩やかにつながれるような場があれば、とても救いになるはずです。

 そうしたリトリートの場として、私は鹿児島県の指宿市に「リヒト」という施設をプロデュースしました。

やましたひでこ先生がプロデュースしたリトリート「リヒト」とは

 「リヒト」は、鹿児島県指宿市東方の指宿ベイヒルズHOTEL&SPA内の1棟を改装した宿泊施設。

 やました先生の「住み慣れた土地や家、人間関係から一度離れて自分を見つめ直し、人生の再生につなげてほしい」という思いから、部屋代1泊7700円、1日2食の玄米食1650円という低価格で利用できる。

 やました先生は、この地の朝日、夕日、星空の光に魅了され、住民票をここの1室に移した住人でもある

人生には自分を取り戻す「自在期」が必要なはず

 古代インドのバラモンの教えに「四住期」というものがあります。
人生を4つのステージに分け、各ステージにおける規範に即した生き方をすることで、理想的な人生を送ることができるという教えです。

 四住期の最初のステージは、「学生期」。親の庇護のもと、さまざまな経験を通して生きるための術を学び、大人になっていく時期です。

 成人し、親元を離れてからは「家住期」。ちゃんと家を構えて、仕事をし、子どもを育て、社会活動をする。この社会に生きるということを全うしましょう、という時期です。

 50歳を過ぎると「林住期」。社会のしがらみから離れ、林の中に住んで、自分の内面と向き合い、精神性を高める。自由な、自分のための成熟した人生を生きる時期です。

 75歳から死ぬまでは「遊行期」。荷物を持たず、一所に留まらず、各地を巡り歩いて完全な奉仕生活に入る時期です。

 四住期の教えはすばらしいのですが、私たち現代人が実践するには難しい面があります。特に、家住期から林住期への移行は、間にワンクッションが必要でしょう。そこで私は、「自在期」という時期を設けることを提案しています。

 自在期とは、自らの存在を自らがたらしめる、その探求の時期。簡単にいうと、自分を取り戻す時期です。

 子育てが一段落したり、定年が近づいたりすると、誰しも心にぽっかり穴が空いたような気分になるものです。それまで母として生きてきた人であれば、守ってきた家庭が空になったことで喪失感を覚え、「私はもう必要のない存在になってしまった」と思うかもしれません。

 でも、そんなふうに思ってほしくありません。ようやくこれから、もう一つのあなたの人生の舞台が始まる。家や子育てや社会的な役割に縛られない、自分の人生を送ることができるのです。そのために、自分を取り戻す時間を作りませんか? と提案したいのです。

価値観の断捨離をして自分の中に光を灯す

 では、自在期には何をして、どう過ごせばよいのか。何をするのも自由です。自分で考え、自分で決めてください。静かに自分の内面と向き合い、これからどう生きるかを考えてもいいし、逆に、やりたいことや思いついたことを手当たりしだいにやってみるのもいいと思います。

 今までは、「自分にはこれしかできない」「やってみたいけど無理」と思っていたかもしれないけれど、思い込みを外して、なんでもトライしてみる。やってみて、それが気に入ったら続ければいいし、合わなければやめればいい。いろいろと試行を重ねながら、今の自分、その時その場の「最適」を見つけていくのです。

 自分が今いる環境から、一旦離れてみるのも、有効な方法です。住み慣れた土地や家、家族や人間関係からしばらくの間、距離を置いてみると、自分の中でいろいろなことがクリアになっていくでしょう。

 そうした試行錯誤の中で取り組んでいただきたいのが、「価値観の断捨離」です。学生期や家住期に形成された価値観は、親など周囲の大人や社会の価値観の影響を受けています。

それらを再点検して、今の自分に合わない価値観は手放し、自分に機能する価値観を残して、自分の価値観を作っていくのです。その上で「私はこういう存在だ」という自己像をはっきりさせ、自分軸でこれからの人生を創造していきましょう。

 自在期は、社会的な縛りから卒業し、自分の中に光を灯す時期。その先にあるのは希望です。