不運も不幸も、誰のせいでもない
怖れにコントロールされているうちは、自分の内なる光を実感することができません。自分を否定したり、ほんとうにやりたいことを諦めてしまったりして、ありのままの自分で生きられなくなってしまいます。そのうえ、周囲の人の光にも気づけません。
しかし、ひとたび怖れを手放すと、安心して、素の自分で生きられます。自分は光の存在、愛の存在だとわかれば、内側からの美しく豊かな光が怖れのコントロールから解き放ってくれるでしょう。
でも、そもそも怖れはどこから来ているのでしょうか。どうして多くの人の心に、怖れを生み出す自己否定や罪悪感の感情が発するのでしょうか。
その源はおそらく、幼い頃から受けてきた教育、親の考え、常識、世間の目など、私たちの外側にあります。怖れはけっして、私たちの内側で自然発生したわけではありません。
ただ、だからといって、「今、私が不運で不幸なのは、〇〇のせいだ」と、外側の何か、誰かのせいにしていただきたくないのです。
というのも、「誰のせいにもしない」「この場所・この時代を生きているのは、自分が決めてきたことで、すべての責任は自分にある」という意識を、私は常に持っているのですが、この覚悟の意識があるから、どんなことが起きても、私は気にならないのだと思うのです。
困難とは「確認作業」のようなもの
もちろん、そのような意識があっても、私の身にもごく日常的に大変なことや厄介なことは起きます。しかし、それは単なる「確認作業」のようなもので、困難が起きたときに、自分はどう感じて、どう対処するか、その自分の反応を確かめているのです。
それは言い換えれば、今の自分の状態を知るために、わかりやすいきっかけをもらっているような感じです。例えば「昔はすごく気になっていたことが、今はもう気にならない」というふうな、そんな気づきを得るために、さまざまな体験をしているように思われるのです。(『奇跡が起きる光の絵 ChieArt』より)
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本書の発売に寄せて、Chie先生から特別メッセージが届きました。