労働の対価はすべて神様からもらう
お金に対するネガティブ思考の一つに、「一生懸命働いているのに、収入が少ない」というものがあります。
「もらっている給料ぶん以上にがんばって働いているのに……」と思うと、なんだか損をしたような気分になります。
安い時給や給料しかもらえない自分が、価値がない人間のように思えてきます。これは、お金持ち思考とは正反対の考え方だと言えます。
マルクスの資本論は「労働者は自分の時間を労働力として売り、その対価として収入を得ている」としますが、神の視点からすると、そうではありません。
この世の商売は、ほんとうは一銭もお金を発生させていません。すべての仕事は、人に捧げるサービスです。
自分の時間や知識、才能、技術を労働力として売ることも、仕事を売ることもしていません。人の労働は神聖なものであるがゆえに、お金には換算できないのです。
労働はすべて無償の愛であり、私たちが売っているのは、真心です。
「人や社会の役に立ちたい」「みんなに喜んでもらいたい」と真心を込めて全力で仕事をして、すべてをサービスとして放出し、労働の対価は全額、神様からもらいます。
そして、あらゆる人々が豊かで幸せになる方向性で仕事をしているよい人間を神様は助けます。これが、神の資本論の核心です。
神の資本論に基づけば、お金の心配は何一ついりません。神様が応援してくれるよい人間になれるかどうか。それしかないのです。
月収を1日でもらっていると考える
そこで、仕事に対する考え方を、例えばこんなふうに変えてみてはいかがでしょうか。
あなたの月収が20万円だとします。「1カ月働いても20万円しかもらえない」と嘆くのではなく、「給料日の1日の日給が20万円で、残りの29日は無償で働いている」と考えます。
そして、日給20万円に値する、もっと質の高い、もっと人に喜んでもらえる仕事ができるよう、誠心誠意、全力で仕事に取り組むのです。
「よい人間になります。ありがとうございました。私の仕事が多くの人の幸せと繁栄につながりますように」
このように考え、仕事をする人には必ず、神様が味方します。
例えば、かつて私のセミナーに参加されたある女性は、こんな経験をしました。
彼女は孤児院で育ち、役場に勤め、社会福祉の相談窓口を担当することになりました。人の痛みがわかる彼女は、困っている相談者たちの話を真剣に聞き、親身になってアドバイスをしていました。
すると、人々が「あの人に相談したい」と、彼女の窓口にだけ行列ができ、何時間も順番を待つようになったのです。
ある日、役場を訪れた大企業の社長が、その光景を目にして「ぜひ自分の会社で働いてほしい」と、彼女をスカウトしました。
理由は彼女の働きぶりに感動したことに尽き、学歴や年齢、専門知識などは度外視です。彼女は現在、その大企業で役員として活躍しています。
これは美談や成功譚ではありません。神の資本論に基づけば、当然の帰結なのです。