お金自体に絶対的な価値があるという幻想
お金に関する最大の幻想と誤解とは「お金自体に絶対的な価値がある」というものです。
為替相場ではお金の価値が刻々と変動しているとか、国が破綻すればその国のお札は紙切れになるなど、理屈ではわかっていても、私たちは普段、お金そのものが豊かさの尺度であるかのように感じています。
だからこそ多くの人は、お金を手元に置いておきたがり、お金を使うとよくないことをしたような気分になります。また、お金をたくさん持っているかどうかは、外的な要因ばかりで決まると思っています。
お金をこのようにとらえているかぎり、金運をコントロールし、押し上げていくことはできないでしょう。
お金のやり取りは世界に豊かさを循環させる
お金とは、物々交換の代わりに使う、単なる交換ツールです。そして、お金とモノの交換レートは、「それが欲しい」「必要だ」という人々の思いの強さによって左右されます。
どんなにすばらしい商品を作っても、それをいいと認め、欲しいと思う人が誰もいなければ、価値はゼロ円のままです。それに価値を乗せるのは人間の心ですから、例えば砂漠では、1瓶の水に100万円の値がつくこともありうるでしょう。お金の数字は、絶対的な価値を示すものではないのです。
お金とモノの交換は、「あなたのためにこんな素敵な商品を作りました」という売り手の思いと、買い手の「それが欲しい」という思いが合致することで成立します。
そして売買の場では、欲しいモノを手に入れた幸せや喜び、感謝の気持ちなど、ポジティブなエネルギーの交流が生まれています。実はこれは、「愛」をやり取りしているのと同じです。
つまり、お金の本質とは愛であり、お金のやり取りとは、私たちに感謝と豊かさの循環をもたらしてくれる行為なのです。
ですから、たとえペットボトルのお茶1本にでも、お金を使うときは、それを作ってくれた人、運んでくれた人、売ってくれた人に感謝します。そして、欲しいモノが手に入ったことに満足します。
「手に入ってよかった!」「ありがとう!」「これって最高!」と喜べば喜ぶほど、買ったモノの価値が払った金額以上に跳ね上がり、ポジティブなエネルギーがチャージされて、金運が上がっていく心理的な素地ができます。
そして、お金にはこのように声をかけて送り出します。
「行く先々で世界じゅうの人を豊かに幸せにして、また帰ってきてね」。
これらを習慣にすれば、お金を使うたびにお金の巡りがよくなり、出ていったぶん以上のお金が入ってくるようになります。
使わない現金や口座の残高に価値はない
愛であるお金は、使わなければそのパワーを発揮することができません。
手元に100万円の札束があっても、使わなければ「100万円相当の物品を手に入れられる可能性」があるにすぎず、持っているだけではなんの利益も生じません。
銀行の預金残高も同じで、通帳にどれだけの金額が記されていても、単なる記号であり、使わない限りゼロ円と同じです。エネルギー的にはプラスでもマイナスでもありません。
そこに「あと◯万円しか残っていない」などとネガティブなエネルギーを乗せると、それに見合った現実を招いてしまいます。投資口座の残高も、またしかりです。
金運を上げるには、口座の残高の数字の末尾に勝手にゼロを加え、残高が10倍、100倍に増えたとリアルに妄想し、大いに喜びます。
そうしてプラスのエネルギーが載った通帳には、いずれ、望んだとおりのお金が入ってくるのです。