
人間関係でやりづらさを感じるのは、もしかすると、絶対固定された自分など存在しないのに「私、わたし」と、頑なに我を押し通そうとしたり、今の人間関係の状態に固執したりするあまり、相手に受け入れ難くさせてしまっているからかもしれません。
この世は諸行無常。あらゆるものは移ろい続け、変わらないものはありません。ですから、人づきあいも「去る者は追わず、来る者は拒まず」が望ましいのですが、すぐに実践できる人はいません。心の柔軟性を高めるためには練習が必要。焦らず、自分のペースで習得していきましょう。
「学ぶ」の語源は「真似る」。超一流の先生を真似ることができたら最高です。柔軟に、巧みに生きた先生。苦しみを手放して、完全なる幸福に至った先生。お釈迦様を真似ぶ——つまり仏教を学ぶことで、柔軟に生きる術が身につくのです。
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①人づきあいが苦手な自分を恥じなくていい
②一問一答「人づきあいが苦手です。」
③一問一答「人からの評価が気になります。」
④一問一答「頼み事をするのが苦手です。」
⑤一問一答「上司に怒られるのが苦手です。」
⑥一問一答「私だけ結婚できないのはなぜ?」
⑦一問一答「老親に口出しをしてしまいます。」(本記事)
【質問】老親に口出しをしてしまいます。
老いた親に対し、おせっかいとわかっているのに、ついあれこれ口出ししてしまうのをやめたいです——
【大愚和尚より】「じっとしている心」を育ててみましょう。
お釈迦様は、「慈・悲・喜・捨」の心を育てなさいとおっしゃっています。「慈・悲・喜」はそれぞれ文字の通り、すべての人を慈しみ(友として愛する)、ともに悲しみ、喜ぶということ。そして「捨」は、じっとしていることです。
誰かに対してじっとしているとは、要は、見守るということです。
もし親御さんに対して何か気づいたことがあっても、あなたはそれを指摘する必要はありません。なぜなら親御さんは、あなたの友であり悲しみ・喜びを共有するお相手であれど、あなたの所有物ではないからです。
それに、かつてあなたが小さかったとき、親御さんは、あなたのことを静かに見守ってくれていたかもしれません。今度はあなたが、じっとしている番なのかもしれませんよ。
ただしお釈迦様は、「じっとしている」心は鍛錬しないと育たないともおっしゃっています。焦らず鍛錬してください。