悔しいけれども通い続けたくなる店

私は旅行作家ですが、心理学の博士号を持ち、デザイナーで、さらに音楽CDを出す歌手でもあります。すでにさまざまな仕事をしていますが、もし自分に体がたくさんあったなら、自分の分身にやらせたいことが3つあります。
1つ目は、喫茶店の経営。
日本には、環境庁が定めた「名水100選」というのがあります。この名水には、国道から40~50km入っていって、さらに車を降りて30分~1時間歩かないといけないところもたくさんあります。100名水を全部飲むには、どれほど労力と時間が必要か。全部飲んだことのある人は、ほとんどいないでしょう。
私が喫茶店を始めるのであれば、半年くらいかけて100名水の全部を巡り歩いて、そこからいちばん近い農家のおじさん、おばさんに話をします。そして、電話1本で、名水をポリタンクで送ってもらえるようにします。
それから喫茶店をオープン。今週は「白山の名水でコーヒーを淹れます」。翌週は「羊蹄山のふもとの名水でコーヒーを淹れます」。その次は「青森のブナ林の湧水で淹れます」……と続けると、100週間、つまり約2年で、日本じゅうの名水を全部飲めます。 こんな喫茶店が我が家の近くにあれば、悔しいけれども100週通い続けるのではないだろうか。「悔しいけど」と言いながら通ってくるお客さんが増えるのではないでしょうか。
服が生き返るクリーニング屋

2つ目はクリーニング屋です。洗濯が好きで仕方ないわけではありません。
クリーニング屋を始める前に、浅草橋かどこかに行って、1万種類、10万個のボタンを買ってくるのです。それで、ボタンの部屋を作ります。
ワイシャツやブラウスのボタンが取れていることはよくあります。それで、ボタンのなくなった服が持ち込まれたら、まったく同じボタンを探して、くっつけて返す。それも黙って返します。
そんなことが5、6回も続くと、お客さんが不思議な顔をすると思います。「お宅にクリーニングを頼むと、ボタンが元通りになって返ってくる。なぜなのかしら?」――私はフッフッと笑います。
ところで、私は冬用の上着を30着くらい持っていますが、実際は20着くらいしか着ません。なぜなら、残りの10着はボタンが1個取れているからです。その1個を探しにどこかに行くのはめんどうだから、しない。他に着るものがあるからです。このとき、ボタンの取れた10着は活かされていないということ。
もし「あのクリーニング屋に服を出すと、とんでもないボタンでも、元通りついてくる」という話があれば、私なら、着ていない上着を持っていきます。
今まで月に1000着ほど扱っていたクリーニング屋が、着ていない上着やズボンも預かることになると、月2000着クリーニングすることになるかもしれません。でもこれは、隣のお店の仕事を取ったわけではありません。お客さんが、タンスやクローゼットの中で眠っていた服も持ってくるようになっただけのことです。
10室だけの小さなホテル
3つ目は、ホテル経営です。たまたま、新幹線で東京と大阪を往復しているとき、シルクロードという名のホテルを見て、「あっ」と思いました。
私が経営したいホテルは、何百室もある大型ホテルでなく、10室だけの小さなホテルです。1つ目の部屋を「長安」と名づけます。2つ目の部屋は「蘭州」、3つ目は「敦煌」、4つ目は「トルファン」。そしてバーミャン、ガンダーラと続き、最後の10室目は「天竺」です。
1回目に来た人は、長安にしか泊まれません。2回目に来た人は、蘭州に泊まれます。3回目で、やっと敦煌に入れます……とやっていたら、悔しいけれども10回通うのではないでしょうか。
敦煌の部屋では、ごつごつした壁に穴が開いていて、覗くと仏像が彫刻されているとか、敦煌の隣には「タクラマカン砂漠」があって、そこは床一面が砂になっているとかすると、さらにおもしろいと思います。
そういうホテルがあったならば、ものすごく旅心が刺激されて、悔しいですが、天竺に泊まれるまで何度も通ってしまうでしょう。部屋それぞれがどのように変わっているのか、とても興味がわきます。
どうやったら売り上げが増えるかとか、お客さんが来るかとか、そのような発想とは違います。「もし自分が利用者だったら、どうおもしろがりたいか」だけを考えていると、人が増え、数字がついてきます。(『小林正観CDブック 神様を味方にする法則』より)