財運が雨のごとく降り注ぐ---!
最強の龍神である八大龍王が持つ御力と、それをいただく方法を気鋭の神道家が解説します。
龍神は恵みの雨を降らせ豊かさをもたらす存在
本稿のメインテーマは「八大龍王」です。
でも、八大龍王の話をするにあたり「そもそも龍、龍神とはなんなのか?」は避けて通れないテーマです。手始めに、そこを見ていきましょう。
龍は、とても大きな力を湛え、天空をも勇壮に駆け昇る伝説の神獣・霊獣です。
起源とされる中国では、龍は啼けば嵐や雷雲を呼び、顎下には宝珠を持つとされ、遥か紀元前から皇帝のシンボルとされてきました。
日本では、より古くからあった蛇神信仰と融合。古墳などには四方位を守護する四神として青龍が刻まれているほか、水の神として各地で龍神が信仰され、数々の伝承が遺されています。
農耕こそが糧であった時代には、五穀豊穣がまさに豊かさであり、富につながるものでした。
「何万石」といった石高制が始まったのは秀吉の時代からですが、これはその地域の生産性を米に換算して経済力を計り、年貢などを決める制度です。
お金というものも存在はしていましたが、年貢は米で納めるもの。米は、日々の食料であるとともに財産でもあったといえるでしょう。
そして、その米をはじめとした収穫を大きく左右してきたのが雨です。
現代では雨は嫌われがちですが、昔は灌漑技術が未熟で干ばつが起こりやすく、降雨日も少なめだったともいわれます。
降らなければ水に困り、枯れて不作となっては飢えも招く一大事ですから、天から滴る水は待ちわびられる恵みの雨。降らせるお力を持つ水の神とされた龍神はひときわ崇敬され、干ばつが続けば、古くから龍神に捧げものをして雨乞いが行われてきました。
空海の祈祷によって善女竜王が現れた
中でもよく知られるのは『今昔物語』にも語られている空海の逸話でしょう。
天長元年(824年)、干ばつに見舞われていたことを受け、淳和(じゅんな)天皇が西寺(さいじ)の守敏(しゅびん)を呼び、京都の神泉苑(しんせんえん)で祈雨(きう)の祈祷を命じますが、雨は十七日目にわずかに降ったにとどまりました。
そこで、東寺の空海が勅命を受け祈りを捧げますが、やはり雨は降らなかったといいます。
不審に思った空海が調べると、空海を妬んだ守敏が、龍神たちを祈祷で水瓶に封じ込めていたことがわかります。空海は、唯一守敏の呪力から逃れていた善女竜王を、北天竺から神泉苑に手厚く勧請します。
そして空海が祈祷を再開すると、善女竜王は池中から大蛇の頭上に黄色八寸の姿を現します。たちまち黒雲がたちこめたかと思うと大雨が降り注ぎ、その雨は三日三晩全国で続いたといいます。
善女竜王のお力で、人々は干ばつから脱し、飢饉から救われたのです。
善女竜王は、このとき空海に清瀧権現とも名付けられていますが、本特集のテーマ・八大龍王の三に数えられる龍宮の王、娑伽羅(サーガラ)の第三王女にあたります。
八大龍王とは、仏法を守護する天龍八部衆のうちの竜族の八王です。水を司る龍の中でも最高位の存在ですから、そのうち娑伽羅の三女とはいえ、善女竜王も八王に匹敵する果てしない力をもって雨を降らせ、守護したと見ていいでしょう。
この雨がなければ、日本という国が途絶えていたかもしれません。
(次回へ続きます)