日本一の投資家に教わったお金や生き方の知恵
竹田和平さんは生前、日本一の個人投資家として知られ、多くの成功した経営者や企業を見抜いて、長期にわたり応援されてきました。
ご自身の会社経営(タマゴボーロで有名な竹田製菓)、投資家としての経験を活かし、「まろわの世」(人と人が真心でつながる世界)を目指して、講演会や執筆活動を行いながら、日本の未来を担う人材育成事業にも、積極的に取り組まれてきた方です。
私自身も、和平さんがご存命の際には、月に2回ほどお目にかかって、お金のこと、生き方、日本の歴史、スピリチュアルな叡智など、さまざまな知恵を教えていただく機会に恵まれました。
私にとっては、まるで父のような存在の人で、いつもお会いするときは温かく迎えてくれたのを思い出します。帰るときも、玄関先まで出てこられて、いつまでも、手を振ってくれていた様子を、いつまでも、忘れないでしょう。
和平さんはどれだけ、私を幸せで豊かな世界へ連れて行ってくれたか、計り知れません。
今回お届けする対談には、和平さんの教えがギュッと詰まっています。
お読みくださったあなたのハートにも、和平さんから、豊かさのメッセージとパワーがきっと届くことでしょう。
心に響くものがあったら、「もし竹田和平さんの魂の一部が、明日の朝、目覚めたときに、自分の中に入っていたとしたら、何をするだろうか」ということを、よかったら想像してみてください。
きっと、作家の人はもっと文章を書くでしょうし、教育者の方は子どもにもっと情熱的に教えようとするでしょう。主婦の方は、もっと美味しいご飯を家族に提供しようと思うでしょう。
そういうふうに今日からみんな変わっていったとしたら、どんな世の中ができるだろうかと考えると、嬉しくなります。
竹田和平さんの学びは現在進行形で、私たちすべてに、生かされているのです。
竹田和平(たけだわへい) 1933年、愛知県生まれ。「タマゴボーロ」で有名な竹田本社株式会社(旧竹田製菓株式会社)社長をつとめるかたわら、投資家としても大成功を収め、名だたる企業の大株主となる。花咲爺を名乗り、延べ2000名以上の赤ちゃんに、金メダルを贈呈。インターネットを積極的に活用し、人材育成事業にも取り組む。著書に『人とお金に好かれる「貯徳」体質になる!』(講談社)、『いま伝えたい生きることの真実』(生活文化出版)など。2016年逝去。
公式サイトhttp://www.takedawahei.net/
毎日ワクワク笑顔で過ごせば運気はぐんぐん上がる!
本田健 竹田和平さんは、日本人の誰もが知っている“タマゴボーロ”を生産販売する竹田本社(旧・竹田製菓)の創設者です。事業家、投資家として大成功されているだけでなく、豊かさについての哲学もすばらしく、多くの経営者や著名人が、和平さんから学びを得ています。
竹田和平(以下、和平)ありがとうございます。
本田健 さらに和平さんは、強運の持ち主でもあります。豊かさを引き寄せるオーラは、周りにいる人まで豊かにしてしまうほどです。
実は、和平さんにお会いしたあとは必ず、東京に帰る新幹線の中で、出版社から「著書が増刷されました」と連絡が入ります。
和平さんのところに勉強に行って、そのたびに100万円ずついただいているような感じです(笑)。
和平さんは、豊かさの回路、金運の回路を開いてくださるかただと思っています。
和平 増刷の話は、すごいことですね。
本田健 早速、子ども時代のことからお聞きしたいのですが、なにか子ども時代のエピソードをお聞かせいただけないでしょうか。
和平 はい。生まれがお菓子の商家だったので、お菓子をポケットに突っ込んで、友だちに配っていました。
毎日好奇心でワクワクして、楽しくて、両親や祖父母、親戚、みんな好きでした。
年上、年下、近所の小僧さん……いろんな人と接していましたが、嫌いな人はいなかった。みんなに愛されて大きくなりました。
本田健 そうお話しされている和平さんの顔は、まるで恵比寿さんの笑顔のようです。みんなが和平さんを好きになるのも納得です。
当時から、運もよかったのでしょうか?
和平 小学6年のとき、そんなにできないのに、先生が通信簿をオール優(満点)にしてくれました。なぜ評価してくれるのかびっくりしましたが、「先生は俺を励ましてる、ほめてくれてるんだ」と解釈しました。これをきっかけに自信がつき、運が上がったのかもしれません(笑)。
ほめることは大事ですよ。
本田健 私もそう思います。
その後、和平さんが10代前半の頃、時代は終戦を迎えます。
戦争中は商売を休止していたご実家でも、お菓子の製造と販売を再開。和平さんも家業を手伝ったと伺っています。その頃から、ご自身に商才はあると自覚されていただのでしょうか?
和平 昔のことですからね。目の前にその仕事しかなかったというだけのことです。
本田健 それでも、20歳を過ぎると北海道に進出して工場を作るなど、すでに立派な青年事業家です。行き詰まったことはないのですか?
和平 いろいろあったと思うけれど、忘れちゃった(笑)。おもしろかったですね、商売は。人と人の付き合いが広がっていくから、商売はおもしろいし、すばらしいんです。
北海道でも運命の出会いを経験し、いろいろな人に助けられました。
本田健 1960年代、日本の国内需要は急拡大します。当時30代だった和平さんにとっても、快進撃の時代だったと思います。
その頃、事業を広げ過ぎてつぶれた会社も多かったようですが、和平さんは数々のピンチを乗り越えられてきました。
窮地のときにはどんなことを考えていたのでしょうか?
和平 失敗や悪いことが起きるときは、「今までのやり方が間違っていたんだよ、正しい道に戻りなさい」と天に教えられていると考えるようにしました。
かえってうまくいくチャンスだと捉えていました。
本田健 すばらしい考え方です。
和平 それから、経済には80年周期があって、いい時代と厳しい時代をくり返していると、私は考えます。つまり、いい時代ばかりではないんです。
厳しい時代には、たとえ正直にやっていてもどんどん苦しくなることがある。
すると、そこからなんとか脱出しようという大きなエネルギーがあふれ、新しいやり方が見えてくる。
こういうふうに“改善また改善”とできるのも、人生や商売のおもしろさの1つですね。
本田健 まさに和平さんのおっしゃる通りだと思います。
(次回に続きます)